小学校英語の「読むこと」に関する記事を書きました

大修館『英語教育』12月号の特集記事に『小学校で大切にしたい「読むこと」の初めの一歩とは』というタイトルの原稿を書きました。

タイトルの通り,小学校では英語の読むことの初めの一歩として文字や単語の認識を扱い,それが中高へと続いて養成される英文読解力の基盤となるということを強調しながら,実際の指導の留意点などを書かせて頂きました。文字指導の重要性やそのポイントなどは至るところで強調されていると思うのですが,リーディングを専門とする研究者として読みの認知プロセスに関する理論的な解説も加えています。ご興味のある方は,ご覧いただければ幸いです。

実際の内容はそちらの記事をご覧いただくとして,ここではその記事で書けなかった話,記事を書く中で考えたことについて述べていきたいと思います。

今回は特集テーマが『技能統合の要「読解力」を考える』であったことから,自分の担当部分では小中高の読解指導の中で小学校が果たすべき役割ということで,文字や単語認識の指導の重要性を説こうと考えました。しかし,編集側としては,ある程度まとまりのある英文(小学校外国語教材We Can!にあるStory Timeのようなもの)を読む際,中学校での読解指導とどのように差別化して指導するかということを書いてほしかったのかも…とも感じていました。

結局そちらには触れなかったのですが,それには私自身そもそもStory Time(のようなもの)を使った読み指導というものに懐疑的な部分があるからです。指導ガイドブックや指導案例を見ると,Story Timeはその単元で出てくる主要な表現や単語に数時間分かけて音声的に慣れ親しませたうえで,単元の最後のほうの活動として英文を指追いしながら教員が読み聞かせる,あるいは音声を聞きながら児童が英文を指追いするといった活動が基本の形として想定されているようです。(※)

「指導に懐疑的」というのは語弊のある言い方だったかもしれませんが,このような指導自体を否定するつもりはありません。同じような指導は英語を母語とする子どもやESLの子どもにも行われていますし,児童が音声とともに文字に触れるという意味では有効な指導とも言えるでしょう。しかし,それは厳密に「リーディングの指導になり得るのかというところに懐疑的なのです。実際にそういう指導場面を見ていると,子どもたちは「音声記憶を頼りにしながら文字をなぞっているだけ」,場合によっては「先生や周りの児童の声に合わせて口を動かしながら,文字を見ているだけ,手を動かしているだけ」でそこに文字認識や単語認識は介在していないのではと感じることもあります。もしそうであるのならば,それは「リーディング」の指導とは言えないと思います。

繰り返しますが,このような教材や指導自体は否定していません。しかし,上記のような指導の状況であったり,それを読むことの指導として小学校で中心的に行うことに懐疑的であるということです。それよりはやはり,文字認識や単語認識の力を養うほうが将来的なリーディング力に貢献する可能性は高いはずで,小学校で中心的に行うのはそちらになるべきなのではないかと思っています。

このようなことを考えているうちに,(1)読みのボトムアップ指導はトップダウン指導に先んじるものである,(2)Story Timeではトップダウン指導は難しい,という2つのことを考えたのですが,それはまた考えがまとまったら書きたいと思います。


(※)We Can! 1の指導書ではStory Timeについて「児童に読ませなければならないわけではない。ただ,文字を追いながら,読み聞かせを聞くという体験が,やがて自分で読むことに繋がっていくと思われる」「絵本のページに記されている台詞は,やがて児童が読み聞かせを聞きながら絵本の台詞を指で追って聞いたり,自分で読むことに挑戦したりすることを想定し,短く単純なものにしている」と書かれている (p.13)。また,5年生と6年生ではStory Timeの構成や位置づけはやや異なっている。

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