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『英語教育のエビデンス』座談会に参加しました

3月5日(土)に関東甲信越英語教育学会主催で行われた,書籍『英語教育のエビデンス』の座談会に参加しました。もともと勉強のために書籍を読んでいたし,次年度の授業の教科書にどうかな~と思っていたので,せっかく著者の先生方から直接話を聞ける機会があるならと思い参加しました。

座談会だったので,30名くらいの参加で質問や意見が飛び交うイメージをしていたのですが,実際は100名近く参加していたようで,質問するのも日和ってしまいました。あと,(主催側の方針だと思いますが)本を読んでいない人も想定した進行だったので,読んでいる側からするとちょっと物足りない感じがしたのも正直なところです。とはいえ,本に書かれている内容を分かりやすく噛みくだいて説明してくださったり,補足や本に書いていない突っ込んだ話も聞けたので,勉強になった会でした。

きちんとしたレビューは時間があればしたいと思っているのですが,本書の内容は英語教育(界)にどっぷりつかっている人ほど,今までにない視点で英語教育を捉えなおすきっかけになるものだと思います。本の中では,「この本を書いたからと言って英語教育の一大ムーブメントにはならない」ということが述べられていたのですが,座談会に100名近く参加しているのを見ても,それなりに波風は立っているように思います。ただ,政策決定に関わっている大御所研究者や,(本書の定義とは違う)エビデンスや科学を英語教育の文脈で喧伝するような著名研究者といった,本書の内容が届いてほしい人たちに届いているかと言われると残念ながらそうではないかもしれません(この点については私も無関係ではなく「共犯」という意識を持たなくてはならないと思いますが)。あるいは,物理的には届いていも心理的には届いていないということもあるかもしれません。

上で質問に日和ったと書いたのですが,実は本書を通して私が疑問に思っていたことの回答はほとんど補章に書いてありました。なのでそんなに質問しなくてもいいかなと思っていたのですが,気になっていたのは研究の種類?タイプ?に関してです。本書の中では,処遇とアウトカムというフレームワークに基づいているので,指導法と英語力の向上の因果関係を特定するような研究を主に想定している印象がありましたが,英語教育学会の発表や論文では実のところそのような研究は少なく,基礎研究的なものも多いのが現状かと思います。それをエビデンスの観点から問題視し,学界・学会としてそのような研究を推進したり,枠組みを作ったりということが必要というスタンスだと理解しましたが,そうすると,そのように意図していなかったとしても基礎研究の位置づけや優先順位が低くなっていくこともあり得るのかなと思いました。まさに補章に書いてある研究者の独立性に関わる点だと思いますが,ひらたく言えば自分の興味関心だけで研究をしている人は今後評価されなくなる(必要とされなくなる)かもなと思いました。また,学会としてチームを組んで研究を行うにしても,チームの編成や人のセレクションという現実的な問題もあるように思います。そのチームに入(れ)るかどうかが,特に院生含む若手の研究者にとっては今後のキャリアに影響するという側面もあるかもしれません。

最後に,本筋とは外れますが,会の中で印象に残った言葉が「自分の名前を売るのをやめませんか」ということと,「これからは学閥についても真剣に議論すべき」という2つです(どちらも自分に当てはまる気がして…)。前者については,大きく同意しつつ,一方でテニュアをとれていない若手やこれからポジションを探さなくてはいけない大学院生にとっては,自分の名前を売らないと今後食っていけなくなるかもしれないという切迫した不安もあると思います。自分の名前を売らなくても済むのは安定したポジションがある人だと思うし,なので,そういう人があえて名前を売る(文脈がないとわからないと思うのですが,業績主義に傾倒していったり,本や講演で「科学的知見」を喧伝したりすることですね)ことについては学界や英語教育が発展していくうえで本当に必要なのかという点では同意です。

後者については,これは本当に議論していきたいですね。大学間(や研究室間)で競争することで研究が進むという側面もあると思うのですが,それで各大学が研究の特色やオリジナリティーを追求していった結果,大規模な研究成果を得ようとしたり,研究成果の蓄積がなされてこなかったというのがこの何十年かだと思うので,別に学閥を全く無くそうとは思わないですが,学閥による弊害というのは特にその渦中にいる人たちは認識し,議論すべきだと思いました。

総じて,本書を通じていろいろなことを考える契機となった会でした。主催の方々,著者の方々に感謝申し上げます。





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