頭に入らない
私は
【覚えるだけ系】
の勉強が心底嫌いです。
○○だから△△になる。
といった、理由が付属していれば
『なるほどなるほど!面白いなぁ!』
って、スッと頭に入るのですが、
「とにかく、そうなのです。」
という物事にはモヤモヤが勝ってしまって、頭にインプットできないんですよね。しなきゃいけないときはするけど、プライベートなんかだとすぐに頭のメモリから弾き出されます。
理由も無く、古い時代から引き継がれてることなんてほぼ無くて、何かしら深い理由があったから現代まで引き継がれてる物事の方が多い訳じゃないですか。
「とにかく、そうなのです。」
じゃなくて、
「原因や理由は"解明されていないのですが"そうなのです。」
の、間違いだよね?
って、私の中の自閉症みたいな素質が疼きます笑
それでも私は普段こうしてプライベートでブログをよく書いてる中で、
『どうせ書くなら、正しい言葉で書きたいよね。』
と、思ってはいるんですよ。
あ、正しいって言っても、スラングなんかも使いますけどね。スラングを正しく使いこなせるか否かって部分にもセンスが問われると私は思ってるんです。
『流行ってる言葉だから何となくノリで使っとく…。』
みたいなスラングの使い方はサムいと思うんですけど、そうじゃなくて、適切なスラングを使うのは結構自分の表現の幅が広がるんですよ。
余談になりますが、
「ジワる。」
って、私普段使わないんですけど、あれは
「ジワジワくる…w」
の略だから、めちゃくちゃ面白いと思ったり、爆笑してるのに
「ジワるw」
とか言ってる人は
『センスねぇんだな、この人。』
って目で私は見てるんですよね。だから、私は使いません。
話を戻しまして、どんな言葉も適切に使えることで、自分の感覚、感情、気持ち等々のボヤァっとしてる部分の解像度を高めてくれるんです。今この瞬間の自分の感覚にピッタリフィットした表現を使いこなせると、発する言葉に強さが出てくるんですよね。モザイク画と写真の違いのようなもので、適切な表現の言葉を使いこなせることで、他者に対しても自分が感じてることを的確に伝えられるため、伝わる情報量が増えるということです。
言葉に強さが出ると、相手に伝わりやすいだけでなく、相手から
『この人は芯のある人だな。』
『この人は堂々とした人だな。』
といった、好意的な印象を持って貰うこともできますしね。
相手に伝わるかどうかを置いておいたとしても、自分が自分の"感覚"などという曖昧な物をより具体化できることは自信に繋がります。不明瞭な何かを見ているよりも、ハッキリ判る何かを見ていた方が安心しやすい通り、自身の心も不明瞭より明瞭の方が良い訳です。不明瞭で不安なまま感覚を表現するのではなく、ハッキリ、キッパリ感覚が判っている方が堂々と伝えられるということです。
それで私は、自分の感覚という、いかにも曖昧な存在を具現化させるために、様々な言葉や表現方法を使いこなせると重宝するだろうと考え、ブログを書きながら少しずつ言葉の引き出しを増やしていってるのです。
ところが、やっぱりスマホで入力してるだけだと、なかなか知識として定着しないんですよね😕
言葉や、言葉遣いというものは、
「かつては□□という理由からこの言葉が使われるようになりました。」
と、理にかなったルールも多い一方で、古い時代から長く使われてきた言葉遣いなどを筆頭にもはや作法として定着しているものなんかも多く、
[とにかく覚えるしかない]
というものも多いです。
とにかく覚えるしかないとなると、紙に書き込むという、アナログな方法が最強ですよね。
『いや、でもそこまでやるか?』
って、筆が進むことがないので、私は多分同じミスを繰り返してることが多いのです🙁
で、最近記事を入力してる中で
『うぁあ!自分の感覚を的確に表現できる言葉が…分からん!』
と、思う経験が増えてきたんですよね。何でか分かんないけど。
そしたら、
『これはそろそろ、自分がブログのために調べた言葉をノートに書き綴っていくべき時期がきたんじゃないか?!』
なんて気がしてきて、ちょっと、言葉への興味が強まってるんです。本当に、あれもこれも、気になること、地味なやりたいことって増え続けるよね!
『自分が表現したい感覚やニュアンスなんかのぼやけているものを、キーワードから探っていけるネットって良いよね!』
って、こういうときばかりはネットの良さを実感するんですが、
『それでも、ちゃんとした校正が成されてる紙の辞書も欲しいかも…。』
なんて気もして、やっぱり興味は広がり続けるんです。紙の辞書なんて、ネットみたいな検索ができないので、本当に買うとなると、自分の理想の辞書をかなり吟味しないといけないじゃないですか。何を選ぶべきなのか、考え過ぎて深みにハマって、嫌になる典型例です。
そんな中でひとまず、
『言葉について学んだことを書き留める専用のノートを用意するところから始めよう!』
と、思って、何となく可愛いと思ってしまった、ファミマとコクヨのコラボノート買っちゃいました笑
この前書いた通り、
『出先でサラサラサラっとスケッチできるような人間になりたい。』
みたいなほんのりした目標もあるため、
・出会った言葉を書き留めるノート
・スケッチブック
・それらに必要な筆記用具
をミニマルに持ち歩ける人間になることを目指し、A6サイズという小さいノートを選択。まずはコイツを埋めることから始めます。そして、埋まらなければ言葉ノート計画を廃止すれば良いとさえ考えています。
我ながら、
『お前、本っ当に形から入るの好きだよな。』
って、呆れに近い感情も抱きつつ、形から入るのが結構大事とも思ってるんですよね。
前に書いた断捨離系の話の内容になりますが、
「「もったいない」という言葉は本来あるべき使い方をされてないということを示す言葉なんですよ。」
という部分も、逆説的に
「何か新しく始める時は、それ専用の物を用意した方が上手くいきやすい。」
っていうことも私は実感してるんです。
ただ、この前の絵とか、今回の言葉書き留めみたいに『私!絶対!これ、できるようになりたい!』
とまではハッキリ決まってないものに対して、わざわざ専用のアイテム用意する必要無いような気もするので、
『グダグダ言ってないでさっさとやれよ。』
って、自分に対して思ったりしちゃいます。
↑こういうとき、
『完璧主義って良くないよな。』
ってことも実感してしまいやすいですね。
「でも、真摯に向き合いたいからこそ、簡単には決められないんだよ。」
って、恋愛拗らせてる男みたいな感情になるんだよ。
めちゃくちゃグルグル遠回りしましたが、
「これからはもう少しまともに、ボキャブラリーを自分の中にインストールしていこうと思いました。」
っていう、ただそれだけの話です。
それだけなんですけど、今もう既に、私の言葉ってなかなかの強さと鋭さを兼ね備えてる気もするんですよ。分かんないけど、多分、私のブログを読んでるだけでもグサグサ刺さっちゃう人、いるんじゃないかなぁ?喋ってても結構心にグサッと響くことを言っちゃってるみたいだし、何て言うか、
『もう、柔らかいだけの言葉って言えなくなってきたなぁ…。』
って思う機会が増えてるんですよね。
そうなってくると、
『言葉に限らず、自分のパッションを表現するスキルを高めるには、自分の精神性の向上も常に心掛けてないとダメなんだな。』
って、思ったりするんですよ。難しいけど、自分を思いっきり爆発させる威力も高めながら、その威力を制御する力も同時進行で強めていかないといけない、みたいな。常に重心点を探ってなきゃいけない感覚を感じて、現実的に集中してる訳ではないのに、集中し過ぎて疲れたような気分になります。
この、不思議な感覚のことをちょっと書いときたくなっただけです。
で、さぁ。
もっと詳しく書こう、書こうと思いながらめんどくさくて書けてないんですけど、まぁいつも書いている表現の範疇で言うと、
【頭の中で思い描いてること】
には、
・ダウンロードしただけの状態の情報
・インストールしてる途中段階の情報
大体2層に分かれるんですよ。
前者は何とな~く頭の中にフワフワ存在してる情報。
後者は自分でしっかり考えてる情報。
世の中では、両方の違いが分からない人も結構多いのか、頭の中で情報がフワフワしてるだけの状態なのに
『自分で考えてる。』
と、思い込んでる人が沢山いるっぽいんですよね。でも、そのフワフワした情報を自分の中にダウンロードする(自分の力で考える)っていうことをまずやった方が良いと思います。
更に、自分で考えたり、理解した内容が腑に落ちてやっと自分の情報になるんですよ。【腑】なので内臓、要はお腹らへんで納得する感じです。「腸は第2の脳」なんて言葉もあながち過大表現ではないのかもしれませんね。腸が理解したと感じる位深く『そうか!』って感じてようやく、自分の知恵へと昇華するので、頭の中でフワフワしてるだけの情報って、【知ってること】
っていうより
【見てるもの】
に近い訳ですよ。
↑こういう部分を理解してる人はもっと増えた方が良いと思うんだよね。
知恵は頭じゃなくて身体に入るんだよ。
私も大概、ある意味他人を傷付けるような言い回ししてる人間ではあるんですけど、本当に、体の良いだけの無神経な言葉で無自覚に傷付けて回ってる人間が減って欲しいなぁって、思ってます。
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