内面
{2022.08.15の記事}
たまたまなんですけど、「自分のできが悪いのは周りの大人のせいだ。」
って書き方に見えるような記事を立て続けに書いてしまったので、
『私が言いたいことの本質は
自分がダメなのは全て親のせいにしようってことじゃないんだよ!』
って話も書いておきます *⌒艸⌒
まぁ、普段から私のブログを読んでくれている皆様は、そういう、ひねくれた捉え方はしない人ばっかりだとは思ってるんですけどね〃⌒∀⌒
【自分】というものを【フィギュア】として置き換えてみると
・自分の本質:中の骨組み(芯材)
・教育:肉付けされた粘土
・親(家族)の愛情:塗装前のベースコート
・自分のアイデンティティ:塗装、仕上げ
なんですよ。
普段、私たちが[【自分】だと思っている自分]っていうのは、[完成(塗装まで)されたフィギュア]なんです。
自分を見て
『自分の性格のここが嫌いだ…。』
『自分の愛情表現はおかしいのか…?』
『私は性格が悪い…。』
などと悩んでいるのは、
『ここの肉付き方がイマイチだ。』
『ここの塗装が納得いかない。』
『そもそもポージングが変だ。』
って、言ってることになるんです。
骨組みに粘土を上手く肉付けさせないと、形は良く仕上がらないし、
ベースコートを綺麗に塗れていないと、その後の塗装や、トップコートをいくら頑張っても綺麗に塗れないし、
肉付けされきった状態だと、元々の骨格なんて分からなくなっているんだから、その状態で本当に「ポージングが悪い」のかは、判断できません。
自分のことを
『ダメな人間だ。』と自分がジャッジしているとき、
それって、
本当に
自分のことを
ジャッジしているのでしょうか?
人は、他人に対して、[相手の表面だけ]を見てジャッジをすることが少なくありません。
仲が良かったり、付き合いが長くなるほど、相手の深い部分を理解して付き合っていることもありますが、職場で少々話す程度の人間だったりすると、相手の表面的な部分しか見てないことがほとんどです。
その表面だけを見て
「アイツは○○だ。」
「アイツは△△だ。」
「アイツは□□だ。」
って判断する人ばかりです。
フィギュアの例え~今の話までを読めば、[他人からの評価がいかにあてにならないことなのか]という部分がかなり伝わったと思います。
併せて、[他人をジャッジすることがいかに無駄なことなのか]ということも伝わってると思いますが、どうでしょう?
過去に他人から
・「お前は○○だ。」と言われた。
・「お前は△△だ。」と怒られた。
・「お前は□□だ。」と呆れられた。
という心に残っている悲しい意見は、【偶像】に向けて言われた、何の意味も無い意見なんです。
自分も
他人も
表面的な自分だけを見て
ジャッジをして
ジャッジをされたことに一喜一憂して
批判された自分を自分がまた責めて…
という、悩みのループは
ただただ時間を奪うだけで
何も良い結果をもたらさないことである
皆さんもそう感じてきませんでしたか?
私個人としては、
・表面的な自分は、育った環境の影響を沢山受けた産物であること
・表面的な自分へのジャッジは、本質的な自分へのジャッジでは無いということ
・表面的な自分だけをいくら改善させようとしても、それには限界があること
・自分を創り直すには、自分の深い部分に斬り込んでいかないといけないこと
これらをもっと若い頃から解っていることができていたら、
・あんなに苦しまなくて済んだのに
・無駄に悩まなくて済んだのに
・自分の人生(時間)を有効活用できたのに
などと、悔しい気持ちが出てきてしまうんです。
だから私は、これからの人生を無駄にしないために自分の内面の棚卸しを沢山沢山続けています。
私と同じように、
・自分による自分へのダメ出し
・他人から受けた自分へのダメ出し
・ダメ出しを元にした悩み
などに苦しんでいる人がいるなら、その苦しい所から抜け出すきっかけになり得る考え方を少しでも書き記しておきたいんですよね。
私の場合、自分の内面の棚卸しって、体力使ったり、時間がかかるものが多かったんですよ。
だから、自分の内面の棚卸しに、より若いときから取り掛かれる人が多い方が、沢山の人が速く楽になれるよな~…。って思うところもあって、色々書いてるんです。
だけど、自分の性格や他人からの評価に悩んでいるときって、自分の深い部分に目が向きにくい状態がほとんどじゃないですか。
だから、少しでも自分の深い部分に意識が向くためには、[自分を育て上げた、自分以外の要因]に目を向けてみるなどをして、[表面的な自分を見ている視点]から意識を反らすことって凄く大事なんですよね。
それで、
「私が経験したように【周りの大人の影響が大きかったせいで、拗らせてる】っていう経験はありませんか?」
って、私からの問いかけの意図も込めて、記事を書いてます。
自分が大人になってみて、
『自分よりも若い世代を無駄に悩ませる大人になりたくない。』です、私は。
(って言っても、人として成長する上では悩む経験が必要な場合もあったりするから、悩ませる存在にならなきゃいけないシチュエーションもあるのかもしれませんが…)
大人の立場の私が、こういう話を書いておくことで、[親の立場の人たちが教育について考えるきっかけにもなる]とも思うんです。
私の考えに賛同して欲しいのではなくて、
『自分はどう思うか?』って部分に色んな人が各々意識を向けてみて欲しいんです。
より多くの人が、一瞬でも自分の考えに対して意識を向けるだけで、沢山の人の悩みを減らせる流れになるからです。
親子間に限らず、夫婦間や恋人間、職場なんかでも精神的な虐待って多いじゃないですか。
(私だけなんですかね?)
でも、加害者は自分が虐待していることに気付かないし、気付けないんです。
被害者も、自分がされていることが虐待だと、訴えられない、訴えても理解されない場合が多いです。
子供という立場の人間は余計に、逃げ場が無い状況に陥りやすいです。
目には見えない、残酷な牢獄を造らない、破壊する、牢獄から抜け出す、そのために意識という力を使ってくれる人が増えることを私は祈っています。