見出し画像

自分になること


[本質の自分になる]
[本質の自分で生きられるようになる]
これって、誰かになることじゃないんですよね。


こうして文字に起こしてしまうと、至極当然のことを言ってるだけにしか見えなくなってしまうんだけど、私は前に自分のブログを読んでて
『もしかして、私はスピリチュアルなことを書かなきゃいけないって思い込んでたのかな?』
と感じたタイミングがありました。

多分、それらの記事を書いてた頃の私って、
『何となく、スターシードっぽいことを書かなければいけない!』
『何となく、スピリチュアルなことを発信しなければいけない!』
『何となく、魔法な世界観の話を書かなければいけない!』
みたいにほんのり感じてたんじゃないかと思います。

【スターシード】というイメージに自分を当てはめにいこうとしたり
【スピリチュアル】の世界観に自分を当てはめにいこうとしたり
【魔法】な世界観に自分を当てはめにいこうとしたり

全部違いましたね笑


私が目にしたことがあるスピリチュアル発信者のほとんどが
『スピリチュアルとはこういうもの』
っていうイメージ先行で様々なことを語ってる部分が多くて、彼、彼女らの全員が本質的なスピリットで生きてる人っていう訳じゃなかったんですよ。

いや、スピリチュアルの本質は掴んでる人は掴んでるんですけど、そこに人間としての強固な思い込みやマインドブロックが残ってる人も多くて、そういう思い込みやマインドブロックの1つに
『スピリチュアルとはこうあるべき』
っていう強いイメージから、
【本質的な自分の行動】
じゃなくて
スピリチュアルなイメージに当てはまってる自分の行動】
を選んでることも多いように見えてたんですよ。

漏れなく私も流されてたんでしょうね笑

何か自分で読んでて窮屈だったもん。


スターシード=突飛な行動する=派手髪
とか
スピリチュアル=人に甘々でなければ
とか
スピリットに目覚める=お金を沢山稼げるようになる
とか
そういう人もいっぱい見たけど、スターシードは他人からどう見られるかを気にしないだけで、派手髪とも限らないですよね。むしろ、無頓着な人の方がスターシードっぽいし…
他人を甘やかすだけがスピリチュアルじゃないでしょ、と私は感じるかな?
スピリットに目覚めるほどに、価値は"お金"にあるんじゃなくて、"価値を感じる自分の心"にあるっていうのが当たり前になるはずなのに、お金お金金運金運って人も多いよね。

当然、全部人による話ではあるけど、
『スターシードっぽい人を真似してスターシードに!』
『スピリチュアリストを真似してスピリチュアリストに!』
っていうその感覚が、全然スピリットに従ってないんですよね笑

本質の自分って多分、【人間】っていう枠を超える位の、想像を超える位の、不思議な生き物だから他人が易々と真似できる存在じゃないんじゃないかと思うんです。


最近、そういう未知の自分が産まれかけてる感覚があって、怖いような、楽しみなような、別に何も変わらないような、気持ち悪い感覚があります笑

『本質の自分が、私の嫌いな感じだったら嫌だなぁ。』
とか
『こんだけ色々感じてるけど、実は何も変わんねーんじゃねーの?』
とか
人間側の私は、人間の頭なんかで量れるはずのない現象に対してあーでもないこーでもないって考えてしまいがちなんですよね、最近。

また、人間の私量子の私もお互いに

『おめー、ほんと、だりぃな!』
『おめー、ほんと、だりぃな!』


って思い合ってる感覚で疲れます。


それはそれとして。

人間は他の人を真似して文化を成長させてきたらしい。

そのカギを握ってるのがミラーニューロンなぞと呼ばれる細胞だとか何とか…細胞…

そうなんですよね。

[他人を真似する]
って、人間の肉体の反応に委ねちゃってることになるんですよ。

だけど、量子(スピリット)の自分が本当にやりたいことっていうのが、
[肉体の自分の反応を超えて、量子の自分の意のままに肉体を操作すること]
なんだと思います。

もしかしたら、↑ここまで本気で肉体(遺伝子)を超えたがっているのは私の量子(スピリット)だけなのかもしれませんが、なんせ私は魂磨き隊ガチ勢なので、他人を真似てる場合じゃない訳ですよ。


だけど、多分なんですが、私のブログと相性の良い皆さんも、ここらへんに気付いておくことも大事な気がするんです。

【スピリチュアル】
というイメージを超えて、何の偏見も障害もブロックも無いままに
[自分のスピリットが望む行動を取る]

一度、皆さんも振り返って考えてみられると良いような気がします。

なにも、スピリチュアルに限った話ではなく、【成功者】と呼ばれるような人や、【憧れの人】など、自分が
『良いな!』
って感じる相手をついつい真似してしまうということ、よくあると思うんです。

だけど、誰かの真似をしている限り、
[本質的な自分の意のままに動く]
ということができずに、結局いくら真似しても真似しても納得できない、満足できないという、苦しい状態になってしまいます。

そういう
『何か…コレジャナイ…。』
という本質的な自分からの微細な反応をキャッチできる人が増えると良いなって思うので書いておきます。

必要な人に届くと良いなって思います。


真似から始めることが大事な場合もあるから難しいところでもありますけどね。

本来、辿ると良い流れというのが、
真似する→自分の感覚的に『何かしっくりこないかも?』という微細な反応を受ける→本質的な自分が求める部分を探っていく
っていう状態なんでしょう。

ところが、まず
『自分は真似している。』
という自覚を持てないまま無意識に真似してしまう人間が多いということ。

自分が
『良いな!』
と感じる相手を真似したことで、自分も相手に近付いた気分になったままそこで満足してしまう人間も多いこと。

この辺りによって
『おーーーい!』
って困ってるスピリットも沢山いると思うので、そういうスピリットたちが助かるように祈りも込めて、この話を書いておきますね笑

ピンときた人は是非、自分が無意識に誰かを真似してしまっていないか、確認してみると良いと思います。


どんなに魅力的で素敵な人を真似たとしても、自分ではない他人をトレースしてるのは苦しいものです。

そういう苦しさから解放される人が増えますように☆



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?