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読解力



{2023.09.24の記事}

前まで
『気温27℃でも暑いよぉ。』って思ってたのが、怖いもんで
『27℃てめっちゃ涼しいやん!』ってなってます( ̄□ ̄;)

まぁ私が痩せて脂肪の量が減ったからってのもありそうですけど、今年の夏の暑さもヤバかったですよね。

残暑が長引きませんように…。

 

最近、
『読解力って何だろうなぁ?』って興味があって、私なりにまとめてみようと思いました。

私が思う

【読解力を培う要素】

①文字が読める
②単語の意味が分かる
③単語の並びから、文が表す言葉を理解する
④文脈が分かる
⑤文脈を元に筆者の論理や感情を理解する
⑥筆者の論理や感情の推察を元に、文に書かれていない行間を読む
……………………………………………
⑦筆者の考え方と自分の考え方の差に気付く
⑧筆者の考え方と自分の考え方を比べる
⑨『本の内容』と『読んだ自分が考えたこと』を別物として理解できる


正直、⑦以降はかなりハイレベルなことをやっているようにも思います。

でも、それらをできるから本を楽しんで読めるし、その本の内容を人生の糧に昇華していけるのではないでしょうか。

文章(本)を読めずとも、何の支障も無く生きられる時代ではありますが、読解力があることでメリットも色々あるので、今日は読解力について深掘りしてみます。

まぁ普段から私のブログをよく読んでくださってる読者様方には不要な話だと思うのですが、私的にとても面白いと思ったので書きます。


初めに、読解力が無いことで、本や文章を書いた筆者の真意が上手く伝わらず、勢いで
「その考えはおかしい!」と腹を立てる人は多いです。

筆者への【反対意見】のつもりで、まったく的外れな指摘をする人が多いのです。

ネットやメディアの中には特に多いのでお気を付けください。


『文章を読んですぐ腹が立ってしまう…。』という性質について悩んでいる人にとっては、文章を読むポイントが理解できればこの性質が改善される可能性が高まります。

逆に、
『何かに感想やコメントを書いたら変な反論意見で攻撃された。』とショックを受けた経験がある人にとっても、
『何だ、あの人は勘違いで的外れな部分に怒っていたのか。』と、気にせずに済みますよね。

文章を読めないことで争いは起こり得る
のですが、その争いを防ぐ余地が生まれます。


ポイントの⑦以降まで身に付けば、本当に様々な作品を深く楽しめるようになります。

また、⑦以降まで身に付いていると、同じ作品でも違った楽しみ方を味わうことができたりもするので、結果的に本や映画などの作品のコスパが上がるんです。

そういった部分についても順に解説していきますね。


では基本の基本となる

①文字が読める
②単語の意味が分かる

これらは、識字率99%以上の日本人にとってはほぼ全ての人ができているでしょう。

ただし、稀に難しい単語が出てきた際に
・その言葉の意味を調べて、理解してから先に読み進める人
・その言葉の意味が分からないまま、何となく読み進める人

に分かれます。

自分で調べ、理解してから先に進む人の方が当然語彙力は上がりますし、読める文章の幅も広がります。

後者は自分の世界が広がりにくいです。


③単語の並びから、文が表す言葉を理解する

驚くべきことに、この段階ができない人もなかなかいるようです。

それは、助詞を適当に扱っているからだそうです。

助詞といっても様々ありますが、簡単な例を挙げると
『は、が、の、を、に』
が分かりやすいのではないでしょうか。

私がご飯を食べる
私のご飯を食べる
私もご飯を食べる

それぞれ意味が少し異なります。

「私ご飯を食べる。」
という一言を読めば、
『他にも人がいて順番に食べているのかな?』など想像できます。

「私ご飯を食べる。」
という一言を読めば
『自分専用に用意されていたご飯があったのかな?』など想像できます。

「私ご飯を食べる。」
という一言を読めば
『他の人が先に食べていたのかな?』など想像できます。

このように、助詞をしっかり読んでいれば、文章にわざわざ書かれていないけども、文章を理解するためにある程度必要な背景はしっかり伝わります。

ところが助詞を適当に読む人は、

私  ご飯  食べる

としか認識しませんので、伝わる情報量が減ってしまうのです。

大半の人は、しっかり助詞を見て文章の意味を汲み取っていますが、
[助詞の違いによって文章の意味が変わる]
ということを知らない人もいます。

[たった一文だけでも正しく理解できない]
という現象は起こり得る訳です。


④文脈が分かる

とてもシンプルに説明すると、文が組み合わさって表されている情景を理解できるか否か、ということです。

私がご飯を食べる。
そうしなければ食卓が片付かないでしょう。

この2つの文を読めば、
・その場に複数人いること
・ご飯を食べる余裕が無い位に忙しい様子
が何となく想像できるはずです。

この様に、
[複数の文が合わさることで示している情景を読み取れる]
ということが
[文脈を読める]
ということになります。

文脈が読めないと、

ご飯を食べること

食卓が片付かないこと

がわざわざワンセットで書かれている意味が分からないので、
『ご飯を食べたいのか食卓を片付けたいのか、どっちなの?』の、ような感想が生まれます。


⑤文脈を元に筆者の論理や感情を理解する

このポイントは、かなり重要でありネックでもあります。

まず、
・物事を論理的に捉える・考える
ということができなければ、筆者が伝えたい論理展開についていけないという事態に陥ります。

もう1つ。筆者の感情を理解するためには、
・筆者の感情を想像する想像力
・筆者の感情に沿える程度の自分の経験値
が備わっていなければ、筆者が伝えたい感情が上手く伝わってこないという事態に陥ります。

先ほどの

私がご飯を食べる。
そうしなければ食卓が片付かないでしょう。

で考えてみましょう。

テーブルの上に用意されているご飯を食べてしまわなければ、テーブルの上を片付けることができない。

これが、筆者が訴えている論理ですよね。

この論理が通じないと
『ご飯を食べる前に食卓を方付ければ良いじゃない?』という感想になります。

筆者が訴える論理を理解する上では、
[お皿の上に乗った料理を食べてからでなければお皿が洗えない]
という事実を理解していたり、
『もしかすると、料理が乗ったままの全てのお皿を冷蔵庫に仕舞えないのかもしれない。』という予測を立てられる必要がありますよね。

こんな風に、ある程度の知識や予測を活用して論理立てて考えることができないと、筆者の書きたい内容についていけなくなります。


筆者の感情を想像することもとても大切です。

『一体、筆者はどんな感情を表したくてこの文を書いているのだろう?』と想像できるのとできないのでは受け取り方がとても変わります。

また、読み手が想像する感情の種類(幅)は少ないよりも多い方が、筆者の書き表したい感情に沿える確率も上がります。

例の【ご飯を食べている私】という人物は、状況判断ができるしっかり者であるという印象を受けるかもしれません。

もしかすると食卓を片付ける別の誰かがいて、その人への気遣いかもしれない、と感じるかもしれません。

もしかすると、【ご飯を食べている私】という人物自身が食卓を片付けたいのに、なかなかご飯を食べてくれない周りの人達に対して腹を立てているのかもしれませんよね。

こんな風に、
【ご飯を食べている私】
が、
【しっかり者】
なのか
【優しい人物】
なのか
【厳しい人物】
なのか…

想像の種類(幅)を広げた上で文章を読み進めることで、筆者が伝えたい意図を正確に捉えられる可能性が高まるということです。


想像の種類(幅)を広げるには、読み手側自身により多くの経験がある方が有利です。

自身に
・ご飯をなかなか食べずに怒られた経験
・ご飯をなかなか食べずに怒られている人を目撃した経験
・ご飯をなかなか食べて貰えずに自分が怒った経験
など、様々な立場の経験があれば、
『筆者がどの立場で文章を書いているのだろう?』と想像を膨らませやすくなりますよね。

ところが、
【ご飯をなかなか食べずに怒られた経験】
しかない人が、

私がご飯を食べる。
そうしなければ食卓が片付かないでしょう。

という文を読んだ場合、
『この筆者は怒っているに違いない!』としか想像できなくなってしまいます。

こうして、偏った思い込みのまま文章を読み進めていくことで、筆者の意図とズレが生じてしまう訳です。


⑥筆者の論理や感情の推察を元に文に書かれていない行間を読む

これも、実はなかなか高度なテクニックなのかもしれません。

先述した⑤の説明最後の方とほぼ内容は被るのですが、

私がご飯を食べる。
そうしなければ食卓が片付かないでしょう。
私はさもばつが悪いと言わんばかりに食卓に着いた。

という表現を読むことで、
・確実に【ご飯を食べた私】以外の人物がその場にいること
・【ご飯を食べた私】はその場の状況を判断して決意したということ
・【ご飯を食べた私】はお腹が空いている訳ではないということ
などなど、直接的に書かれていないけども断定できる情景を読めることになります。

行間を読めないだけなら、話が通じない訳でもないのでしょうが、絶妙なニュアンスが読み取れないのだと思います。

この例の場合、筆者は

【ご飯を食べた私】が気まずい空気感の中でご飯を食べざるを得なかった

という独特なシチュエーションであることを表現していると考えられますが、行間が読み取れない人にとっては
『何で食べるって宣言したのに食卓に着いたって念押しするんだろう?』のような感想になるでしょう。

直接書ききらないことで生まれるニュアンス

を感じ取るのと感じ取らないのでは、筆者が表現しているストーリーの印象が変わってきます。

伝わる内容の本筋は変わらないのかもしれませんが、その作品の味わい深さや、ストーリーの奥行きといった、より抽象的な要素に差が生まれるので、文学的な作品が面白いか面白くないかの境目は、この部分にあるのではないかと私は考えています。


⑦筆者の考え方と自分の考え方の差に気付く

⑤で説明した、筆者の論理展開が分かった上で、自分の持つ論理展開と異なる点に気付くことで、自分の考え方が広がる瞬間を体感できます。

初めに書いた通り、⑦以降は完全に読解力のオプション的な要素になるので、ある意味マニアックな文章の楽しみ方とも言えるのかもしれません。

論理展開に限らず、筆者の感情と自分の感情の差に気付くことも面白いです。

『こういうことが起きた場合、自分だったら絶対怒るけど、筆者は悲しかったんだな…。』などのように、自分の感じ方と筆者の感じ方の違いに気付くことで自分の感覚や価値観の広がりを感じる体験を得られます。

体感としては、
一瞬だけハッとした感覚に陥る
という風に表現できるのかもしれませんが、目から鱗が落ちる時のあの感覚と同じで、瞬間的に特有の解放感を得られるはずです。

何となくこの感覚が分かっている人は
「本を読むのが好き!」
だと宣言できる人なのではないでしょうか。

逆に、この感覚を得たことが無い人は、本を読む楽しさが分からないような気がします。

因みに、自分と異なる論理展開、感情を新しく会得した上で、もう一度同じ本を読み返すと、初めに読んだときとは異なる印象に感じられる本もあります。

一冊の本で2度以上違う印象で楽しめると、コスパが良いですよね。


⑧筆者の考え方と自分の考え方を比べる

⑦の延長線上にある要素ですが、
筆者の論理・感情
読み手(自分)の論理・感情

それぞれを比較しながら読むことで、筆者の人間性の面白みを感じ取れるようになります。

私個人は
『うわぁ…この筆者の考え方嫌いだな…。』と感じてしまう経験の方が多かったのですが、それでも自分と異なる考え方、価値観、自分にとって意外に思える箇所で感動している筆者の感受性を感じた時に
『この筆者面白いな!』と思う経験も確かに多いです。

過去の私よりも今の私の方が圧倒的に視野も広がり、考え方の幅も広がっているので、もしかしたら
『この考え方嫌いだな。』と感じにくくなったかもしれません。

なので、過去にあまり面白いと思わなかった本も面白いと感じる可能性は高いです。


筆者の人間性を楽しむことに加え、自分の人間性がバージョンアップすることで、比較対象となる本もまた違った印象に変わることもあります。

筆者と自分の考え方の差を比べることができると、一冊の本を何年毎かに何度も読み返す度に違った印象を受け、楽しむことができるのです。

即ち、本一冊を何度も何度も楽しめるので、コスパが良いと言えますよね。


⑨〖本の内容〗と〖読んだ自分が考えたこと〗を別物として理解できる

⑦と⑧ができていれば自ずとできそうですが、なかなか難しい要素なのかもしれません。

「この本、どういう本ですか?」
と聞かれた際に、
筆者が書いている内容に自分の解釈を混ぜて説明してしまう人
かなり多いと思います。

まぁ、別に解釈が混ざってしまってもそんなに問題にはならないのですが、
・筆者が書いた内容を忠実にかいつまんで説明すること
・自分が抱いた印象

しっかり分けてその本を把握していると、他人に本をおすすめできるスキルが高まりますよね。

そのスキルを生かして稼げるようになれば、コスパが良いですよね。

って、ここにきて突如フワッとし過ぎましたが、筆者の意見と自分の意見を分けて頭の中にストックしておけると、何か悩んだときや困り事が起きたときに、その悩みの中から抜け出すための考え方を普段の自分とは少し違う視点で見出しやすくなるのです。

これは結構ハイレベルというか、もはやサイキック能力に近いんじゃないかとすら思いますが、
『あの筆者だったらこういう風に考えるかも…?』という風に他人の考え方を真似するのは不可能なことではありません。

例えば300円のガチャポンをやるか、やらないかで迷ったときに
『あの筆者ならやるだろうか…?』と、考えてみるような、本当に些細な部分でも活用できます。

HSPの人や、繊細な人、サイキックな感覚が強目の人なんかだと、筆者の感覚を憑依させるような形で落とし込む場合もあるかもしれませんね。

私個人の経験だと、過去にお金のブロックを外すために
【金持ち父さん貧乏父さん】
を読んで自分と全く異なる感覚を自分の中にインストールして、お金に対する考え方を変化させたことがあります。

お金の本質というものが一切分かっておらず、無駄遣い、いつの間にか無くなっている残高…
という状態から、毎月しっかり貯金ができるようなマインドへとシフトできたのは、あの本の筆者の感覚に少しだけあやかることができたからでした。

こんな風に、自分が憧れている人のマインドを自分の中にダウンロード、インストールして、今までの自分とは少し違う自分の感覚に切り替えられると自分の価値観や行動力が広がります。

そのために、本を読んだ段階では【筆者の考え方】と【自分の考え方】は別物としてしっかり分けてインプットできた方が本の情報の汎用性が高いのです。


以上が私の思う
【読解力を培う要素】
です。

そして、あえて省いたのですが、④と⑤の間に

[筆者の背景を知っている]

という要素が入るのと入らないのとでも、また話の感じ方が変わってくるのです。

例えば、筆者が明治時代に書いた人であれば
『明治時代の人の価値観ってこういう感覚かなぁ…?』とアタリを付けて読み込むことで、筆者の心情により深く沿いながら本の世界に浸れます。

以前、🔻この話 🔻

で書いた内容と被ってくるのですが、筆者の背景を知っていたのであれば、その情報を活用するに越したことはありません。

しかし、
筆者の背景を知っているか、知らないか
は読解力とはまた別の要素になります。

仮に、本の冒頭などに筆者の情報がしっかり書き込まれていたのにも関わらず、それを理解できないのであればそれは読解力が無いという話になるでしょう。

しかし、本の内容の中に筆者の情報が一切含まれていないのであれば、筆者の背景が分からなくても、それは読解力が無いことではありませんよね。

「読解力が無い人が増えた…。」
と訴える人の中にはこの、
"筆者の背景を分かっていないことで理解できていないだけ"という実情であっても総じて
「読解力が無いせいだ!」
と誤った指摘をしている人が結構いるから、おかしなことになっていると私は考えています。

結局みんな
『読解力とは』って部分に対してフワッとしか分かってないんじゃないかなって。

指摘する側がフワッとしかしていなかったら、そりゃあ後続者達に読解力が備わらなくて当然だと思いませんか?

私はもっと
「読解力とはこういうことを差します!」
という定義や、基準がハッキリしない限り
「読解力が低下してる!」
って指摘してはいけないと思うんですよね~…。

反抗期の小学生みたいなことを言いますが
「本を読みなさい!」
って言ってくる大人程、
『何故本を読むことが大事なのか』っていう部分を上手に説明している人を未だ嘗て私は見たことがありません。

だから私は、本は読めなくても良いと思います。

「本が読めなければダメ。」
なのではなくて
「本を読めるとメリットが沢山ある。」
こっちの認識でいた方が結果的に本を読みたくなるし、読めるようにもなると私は考えています。

その考え方の一環として、今回の話を書いてみました。


正直、ちょっとややこしい話になってしまった気もするのですが、本一冊だけであっても最大限に活用できるようなヒントは沢山散りばめられたと思うので、必要な部分をお受け取りくださいね☆


少しおまけとして、
・速読ができるようになる
・字を読むことにに慣れる
には
質より量を読むと良いでしょう。

・作品を楽しむ
・情報を活用する
には
量より質を重視してじっくり読むと良いでしょう。

あくまで私なりの意見ではありますが、読解力を養うには一冊だけでも良いからじっくり読み込むことが最短ルートだと思っています。

少し難しそうな厚い本と辞書を一冊ずつ側に置いて、文や言葉の意味を確実に理解しながら読み上げることで、その本を読み終わった頃には読解力のスキルは断然上がっているはずです。

読書の秋です。
皆様もこれを機に何か本を読んでみませんか?


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