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この世は地獄だと思った日の話


余談ですが、少し前に、私はまた私の宇宙の真理の扉を1つ開けたんですよ。その気付きが結構大きかったのか、最近は絶賛膿出し中なんですよね。最近の記事が暗いというか重めな内容なのはそのせいです。

そして今日の話もちょっとしんどい系かもしれません、と、一応書いておきますね。



私が産まれた家は、母が嫁いできた形で、父方の祖父母と同居している家庭でした。

父の母にあたる祖母は、一見優しいというか、キツいことをズケズケ言うようなタイプでは全くなかったんです。ですが、その分何も考えていない感じというか、気が回らないというか、ナチュラル~に嫌がらせをしてるような人だったんですよね。当然、本人は嫌がらせをしてる自覚も無いし、治る気配など一切ありませんでした。

そんな祖母は、嫁である私の母に対してナチュラル~に地味~な嫌がらせをしてたんです。

ご飯を作るのは祖母の役だったのですが、そこで、ちょっと焦げた魚や、肉がほとんど入ってない肉じゃがなどは当たり前のように母に回す…という具合でした。まぁ、嫁姑あるあるなんでしょうね。

まだ未就学児位だった頃の私は、そんな、嫌がらせをされてる母が可哀想で、いじめを見ているのが辛くて仕方なかったんです。

ですが、子供ながらに
『これは、私がおばあちゃんに何か訴えたところで、私の意見は聞き入れて貰えない案件だ!』
と察していました。

そこで、ある時、あまりにも辛かったので、母に訴えたんです。

「何で、いつもお母さんにぐちゃぐちゃなおかずがいくの?私、そういうの見てるの辛い!」
と、涙ながらに伝えました。

すると母は、
「お母さんはお嫁さんだから仕方ないんだよ。そういうもんなの…💧」
と、返してきたんですよね。

エンパスで感受性が強い私は、母の返答、態度を見て、
『あ。この人は『可哀想な私…💔』に、酔ってるだけだ!この人、祖母に対抗する気一切無いやん!』
と、何となく勘づいてしまったのです。当然、当時は子供だったし、難しいことはよく分からなかったので、↑ここまで完璧な言語化はできてなかったのですが、雰囲気で
『母は【可哀想な自分】でいることをどこか喜んでるんだ…。』
と、自己憐憫に浸る母に気付いてしまった訳です。

するとどうなったと思います?

【ナチュラルにいじめをする祖母、いじめられている母、双方を見ているのが辛い娘の気持ち】
よりも
【【可哀想な私】でいることにメリットを感じてる自分】
を優先する母だって気付いちゃったんです。この時に私は、
『あぁ、お母さんは、【いじめを見てるのが辛い私】の気持ちなんか一切考慮してくれずに、いじめられることを止めないし、これからも私に、辛い【いじめの現場】を目撃させ続ける気なんだ…。』
って感じたんです。

『母は、こうして涙を流してまで辛いと訴えてる私の気持ちを汲んでくれる気などさらさら無く、ただただ自分にとって都合の良い選択しかしないんだ。母のメリットのために、私のことを平気で踏みにじるんだ…。』
って、やっぱり当時は言語化はできてなかったんですけど、感覚で察してしまったんですよね。

母に愛されてないってことを自覚した瞬間でした。

ナチュラルに自覚せずに母をいじめる祖母、私のことを平気で踏みにじる母、祖母と母の色々に全く気付いてない祖父と父…。

『この家に、愛なんて無いんだな。』
と、悟った瞬間だったのです。



昔は、言語化なんてできなかったので、ただただ感覚だけで感じ取ってしまったことで、より一層辛い感覚だけがひたすら強く私を締め付けました。

「私はいじめを見たくない!」
と泣きながらに訴えたのに、いじめられてる母本人が改善する気が無いのだから、私にはもうなす術がありません。と、いうか、まだ幼かったので、どうすれば良いか分からなかったし、分からない中で何とか思いきって母に話したのに、その思いを突っぱねられて、私の苦しさは行き場を失ってしまったんですよね。



その後、どう折り合いを付けたのか、全く思い出せません。

と、いうかこのエピソード自体、すっかり忘れ去っていて、先日ふと頭の中に湧いてきただけなんです。

『そーいえば、そんなことあったなぁ…。』
と、大人になった今、思い返してみると、
『いや、昔の私、辛過ぎたやろ!よく1人で抱え込んだな💦』
って、昔の自分が不憫に思えて仕方ない気持ちでいっぱいになってしまいました。

大人になった今の私でさえ、当時の気持ちを思い返しただけで涙が出てくる位、キツい記憶ですね。この話を読んでる皆さんに上手く伝えられてるのか分からないのですが、

『いじめを目撃してるのが辛い。』
のに、解決する手助けをしてくれる人が誰もいないんだとつきつけられた

『母だけが私の気持ちをわかってくれるんじゃないか。』
と考えていたのに、母は私の気持ちに寄り添ってくれる気が全く無いんだとつきつけられた

『いじめが当たり前の家なんて、こんなに苦しいのに、私の他の家族は誰も気にならないでいじめを助長し続ける。』
→家族はみんな、間接的に私への嫌がらせを続けるんだとつきつけられた

などのような、絶望に取り込まれたんです。

確か未就学児だったから、6歳以下とかの歳でこれは…キツいて…。



色々思い返してみて、
『いや、私本当によく生き延びれたな!?』
って本気で感じたし、人生で初めて
『ちょ、私、こんな辛い経験よく耐えたわ!偉いわ!これは、もう、報われて良いよ、報われるべきだよ、むしろ、離脱して良いやろ!』
って、今までちゃんと生きてきてる自分を自然に褒めてました。と、いうか開き直りみたいな感覚でもあり、家族への怒り再燃みたいな感覚でもあり、
『逆に、何で私は生きてるんや!?』
って、不思議な気分にもなったり、
『これからはもう、好き勝手にしていーよ!』
って、かなり自分を赦せた気分を一番強く感じることができました。

こういう言い方は正しくはないんだけど、本当に
『もう、こんな所(地球もしくはこの世)に居てあげなくていーよ!』
みたいな感覚も強いですね。



このエピソードを思い出して改めて、私は

『物事を深く考えなかったり、他人への気遣い、配慮が足りない人間なんて嫌いだ!』

って思ったし、

『「可哀想なアテクシ…💔」ババアはもっと嫌いだ!』

って思ったし、何か、私がこの世に対して抱えた恨みの根源を見付けたような気がしたんです。

それで、
『厄落としを兼ねて書いとこう。』
って思った訳ですね。



前~~~にさぁ、
「子供を愛せない親なんて、ザラにいるよ。」
って話も書いたことあるんですけど、本気で、この世には愛の無い家庭ってあるんですよ。愛し合えない家族っているんですよ。

私のこの文章程度じゃ、もしかしたら上手く伝えられてないのかもしれないですけど、
『こういう行動をしたら…周りの人はどう感じるかな?』
って配慮が足りてない人間は、自分の知らないところで他人をズタズタに傷付けることもあるんです。
『この相手のためにはどうしてあげるのが一番良いかな?』
って気が回せてない人間も、自分の知らないところで他人をズタズタに傷付けてることもあるんです。

配慮できない、気が回らない、こういう人間の行動を私は「愛だ」なんて口が裂けても言えないし、それが愛なら、私は愛なんて要らないとすら思うんですよね。



だから何、って訳でもないんですけど、私がいつも書いてる【キラキラ系スピリチュアル】とか【やってるフリ症候群】ななんちゃってスピラーたちの、
「この世の全てが愛なんです。」
みたいな言葉、私は受け付けません。愛を失なってる人間の数の方が多いんです。真実に目を向けてください、と、いう気分になります。

まぁ、これもさぁ。難しいのも分かるんですよね。世の中には
【『自分は愛されてない。』ということを認められない人間】
も物凄く多いですからね。そういう人は総じて【全っ然愛じゃない物事】も全部「愛」にしちゃうからさぁ…。何でも「愛」にしか見えないんでしょうね。

全てが愛に見えてる人は
『自分は恵まれてるんだなぁ。』
って、心から噛みしめててもろていーんで、
"全てが"愛ですよ。」
とかいう発言を控えていただけると傷付く人が減る、って部分に気付く人が増えてくれたらいーのにな、と私は仄かに思ってます。

世の中には、それぞれ色んな経験を経てきてる人がいる訳で、自分の想像を絶する程の辛い心境を味わってきた人もいるかもしれないのに、
「それは愛があったから起きたことなんですよ~。」
とか、軽々しく口にするのは、それは愛ある言動ではないと私は思うんですよね。

そういうのは、
「高波動↑前向き思考☆ミャハ」
じゃなくてただの
「無神経」
っていうんですよ。



これも、全員がそうとは言いませんが、
『この世には愛が存在しないんだな。』
って部分を認めて、受け止めて、その上で
『じゃあ、どういう世界にしていきたい?』
って、
[不足を踏み台にして昇華させることが大事]
な人は結構いるんですよ。

そんな中で、
「全部が愛なんです。」
って、不足に目を向けずに蓋をしようとする言動は、邪魔でしかなくなることもある…って…本当に目覚めてる人なら分かりそうなものなんですけどね…。



とりあえず、私はこうして言語化してしまったことで改めて
『私は家族から愛されてなかったんだな。』
って自覚してしまった訳なんですけど、
『だから、愛し方も愛され方も分かんないのか…。』
って思ってしまった訳なんですけど、これから先、あったかい環境を築いていける人たちと出会って、ぬくぬくゆるゆる生きていける人になれるように祈ってます。

地獄を天国へとリフォームするためには、地獄をしっかり目視して正しく見極めることも大事だったりするんですよ。

だから私は、地獄の日々もそれはそれとして受け止めて生きていこうと思うのです。



地獄を生まない人も増えなあかんとも思うけどね!

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