でっかい手放し
{2022.04.23の記事}
なんか、でっかい手放しが起きました( ゚A゚ )
不意にです。
最近、
『どうしたら私の運が好転するの?!』というような焦燥感がハンパじゃないんですよね。
何となく、人生が変わり始める、何なら好転は始まってる、ってゆー感覚だけはあるんですけど…イマイチ、サナギの皮が脱げきれないというか…
『一体、私は何を目指したら良いの?!』って、疑問が拭えずにいました。
YouTubeを見ながら
『面白い動画無いかなぁー?』と画面をスクロールしていて、何となく目に止まった動画を見て、内容とズレた点でピンときました。
『何で、何者かにならなきゃいけないの?』
そんな疑問が浮かんできて、私の中で化学反応が起こりました。
『そーじゃん、何者かでいなきゃいけない、って思い込みでしかないじゃん!』
そう考えると、一気に
『あー、ありのままの自分ってそういう意味か!』
とか、
『明らかに眺めるって、そーゆーことか!』
とか、
一気に力が抜けた気分になったんです。
我を捨てる
って、こういうことなのかも…?
最近、自分の中でのテーマとして、["本当の自分"を目覚めさせること]が必要だな。って感じていました。
しかし、"本当の自分"なんて、自分では気付けないと思っていました。
私の思考によれば、【思考の自分】と【魂の自分】の境界線を見出だすことで、【魂の自分】を見付けることができる筈だと考えました。
が、【思考の自分】と【魂の自分】の境界線など、見付けられる筈がないと思ってたんです。
頭で考えた事なのか、心に浮かんだ事なのか、そんなの判断できる訳が無いと。
その内、
"本当の自分"という存在は、自分の中にあるようで、実は全く新しい、自分が知らない自分なんじゃないか?
という仮説も立ちました。
もしそうであれば、自分が知らない自分に出会う為に、新しいことを始めたり、経験が無い何かに挑戦しなければならないのではないか?
では、何に挑戦しなければいけないのか?
などなど、グルグルと自分を探し続けていたんです。
頭の中で。
で、気付いたのが
『何者かを目指す必要などない。』のが、答えなのでは?
と、いうことでした。
私は私
ただそれだけ。
その考えに行き着いたら、ある意味色んなことが[どうでも良く]なりました。
なげやりな感じではなく、
『なるようにしかならないんだな…。』と、明らかに眺める境地、諦めの境地です。
これに気が付いて、斉藤一人さんの言葉が妙に腑に落ちたんです。
私が握り締めて手離せ無かったもの
何を握っているのかもわからなかったもの
それは
何者かになること
だったのかもしれません。
私たちは、自分にも他人にもラベル(レッテル、というのかな?)を貼るのが好きですよね。
この
『ラベリングをしなければ…!』ってゆー焦燥感が自分で自分の首を絞めていたのではないか、と気が付いてしまったんです。
『私はノーブランドで良いんだ!』と気付いたら、先述したように[どうでも良く]なりました。
一気に力が抜けました。
力というか、パンを発酵させた後にガス抜きしたときと似ています。
この良い意味での脱力感を上手く表現できませんが、自分にとってめっちゃでっかい手放しだな、と感じました。
自覚してみると、
『私の変容が進んでる!』って気がしますね笑
多分、ここからまた次のフェーズに入るのだと思いますが、とにかく今はどうでも良い感覚です。
記録として、書いておきます。
必要な方はお受け取りください。