ダサい
最近妙に
『「ダサい。」っていう概念自体がダサいよなぁ。』
と思うので、その辺の話。
多分、前は逆の書き方をした気がしますが、ある特定の物に対して
『自分は『良い。』と思わない。』
ということは、自分に、それの良さを感じる感性が無いだけなんですよ。
出汁の旨味を感じ取る味覚が備わってない人に、出汁の入ってない味噌汁と入っている味噌汁の味の違いが分からないようなもので、
『だっさいなぁ。』
と思うということは、それの良さを見出せる感性が備わってないだけ、とも言える訳です。
だから、これからの時代は特に、やたら滅多と
「あれ、ダサいよね。」
なんて言わない方が得策かと思います。
「自分には感性が備わってません!」
と宣言しているようなものですからね笑
それでも私はたまに言いそうですが *⌒艸⌒
そもそも、流行を追いかけるようなスタンスでいる限り、ずっと自分が後ろになっちゃうじゃないですか。堂々と我が道を進んでいない限り、流行の最先端になることなんてあり得ないのに、
『トレンドに常に乗っかってる自分、ドヤ。』
みたいなの、サムいんですよね。
だから、流行りの物を見て
『お!良いじゃん!』
と感じた上でそれを買う分には、使いこなしたり着こなしたり、格好良くアイテムを手懐けることはできるでしょうが、
『何か分かんないけど流行ってるから、とりあえず乗っかっておこ!』
っていう買い方をすると、結局乗りこなせずに終わるだけになります。
そういう、自分の感性が活きていないチョイスがダサくなる根元なんだな。って、何か気付いちゃったんですよね。
他人への干渉がそもそもの間違いでもあるし、本気で他者のチョイスへの言及は控えた方が身のためだとは思いつつ、
『ダサいな。』
って思ったときは、
『自分に感性が足りてないんだな。』
って自戒してみると、世の中の見え方がちょっと変わって面白いかもしれませんよ。
逆に、相手を見て
『この人、周りに流されてるだけで自分が無いんだな。』
って分かるときもあると思いますが、そういうときでも
『自分も流されちゃっていないかな?』
って振り返ってみると、自分の可能性広げるチャンスを得られると思います。
感性呼び覚ましていこ!
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