皐月の厄払い 菖蒲とヨモギ ヌチグスイ*⑳
「端午の節句に菖蒲湯」と聞くけれど、なんとその菖蒲はお花が地味なものだと知って驚いた。わたくしのような認識の人は、少なくない方だと思うのだけれど、いかがだろうか?
菖蒲と聞けば、反射的に脳内に菖蒲園の風景が展開されるわたくし。菖蒲と言えば、これでしょう(ドヤ顔)くらいな勢いになってしまう。
が、これは花菖蒲であって、菖蒲ではないそうな。殺菌などの薬効ある独特の香りを放つ菖蒲と、花菖蒲やその花によく似た植物との違いをはっきりと示してくれている、とても親切なブログを見つけた。↓
更に詳しく探っていくと、菖蒲の学術名のcalamusは「アシ」を意味するギリシア語。ヒポクラテスの時代から、薬草としてヘルニアや肝臓病の治療薬、解毒剤、口臭防止などに利用されていたそう。今でも菖蒲はカラムスと呼ばれてその薬効が活用されている。花言葉は「適合」。
ありがたや、これで一人前の大人として、毎年五月にもう間違わなくて済むのだ。そして、子どものころ、弟と一緒に菖蒲湯に入ったことをうっすら思い出した。その頃のわたくしは柏餅の方に興味があって、あまり印象に残っていないのが残念だ。すると、何故だか「子どもの日というけれど、男の子だけが主役なんだな?」と少々不満に思ったりしていた気分が蘇ってきた。男に生まれたかったなどと考えていた幼いころの自分に出会った。意外な再発見である。
ところが、端午の節句は男子のためというのは、菖蒲を「勝負、尚武」に引っ掛けた駄洒落のような江戸時代の武士向けのイベントが始まりだったことがうかがえた。それまでは、5月の田植え前に主役である女性(早乙女)を殺菌力の強い香りのある薬草(菖蒲やヨモギなど)で護ることが主たる目的だったと知った。改めて調べてみると、菖蒲とヨモギで球体を作り、くす玉(薬玉)とする風習も近年まで長く続いていたようである。清少納言の記述もあるように、端午の節句の薬草の行事だったのだ。
また、菖蒲と共にこの季節の災厄を祓うヨモギは、その柔らかな若葉を使って餅にするとからだに頗る良いらしい。先日、友人に届けてもらった、兵庫の安全な場所で採取したヨモギを、重曹とサッと茹でた後、暫く水にさらしてからミキサーでペーストを作った。これを冷凍で保存して、いろんな料理に活用するお楽しみがしばらく続く我が家である。
そして、まずはその一部を豆腐と白玉粉で草団子にしてみた。合わせたお茶は大分県杵築市の蓮茶。これもまた、すっきりとした爽やかな香りが気持ちよい一服である。この国の豊かな自然の恵みを頂ける倖せな五月のティータイム。
さらにうまい具合に、行きつけの美容院で最新号のうかたまなる楽しい雑誌に遭遇。そこでもヨモギ特集を組んでいた。表紙のヨモギのスチームケーキが本当においしそう。↓
その中で紹介されていた、ヨモギの活用法をまとめた本も興味を引かれる。↓
ちなみにヨモギをプレゼントしてくれた友人は、なんと後日、珍しい九州の離島のヨモギも持ってきてくれた。同じように重曹で下処理をしたけれど、生の葉の色形もゆで上げた感じも全く異なったので、同じ種類の植物?と思ったほどだ。
そういえば、わたくしのお気に入りの本、「薬草のちから」にも沖縄と北海道のヨモギは形も成分もかなり違うと書かれていたことを思い出した。同じ種類でも育つ土壌や気候などで異なる性質を持つようになるのだろう。(人間も同じかも?)
では、自らいざ、ヨモギ摘みに!と思うのなら、まずは毒草と間違えないように気を付けなくてはならないようである。野外には怖ろしいことに、様々な毒草があちこちに育っているのである。(例えば、身近な公園や街かどにも毒草は多い。クリスマスローズ、水仙、夾竹桃、スズラン、つつじ、アセビ、スイートピー、アジサイなどなど)ヨモギに似た毒草、トリカブトやクサノオウとの区別をしっかりと見極めよう。
更に先の友人は、「食べるためなら5月まで、薬草としては秋がいい」と教えてくれた。なかよしの物知りがそばにいてくれると、本当に助けられることだ。年齢や性別の違う人々とのつながりは、自分の知恵や経験の不足を補って余りあるありがたいものであると、しみじみ感じる。リアルでもネット空間でも、「良い感じで人とつながる」ことの意義は大きい。ヨモギつながりで言うなら、相互フォローのよく鳴さんのnoteもいつも楽しく拝読し、北海道のヨモギ生活を教わって、大感謝である。
学名で「アルテミスの草」を意味するヨモギは、女性を守る薬効を香り高く発揮する。その花言葉は、「平和、幸福、夫婦愛」。平和も、幸福も、夫婦愛も女性の健やかさにかかっているのかもしれない。もちろん、男女問わず、菖蒲とヨモギの力にあずかって、疫病や諍いをみんなで乗り越えていく五月にしたい。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。