ホノルルマラソン(大学2年)
1998年大学2年になり、スキーサークルにも後輩ができて、奴隷生活から少し解放された。
生活は変わらず、アルバイト、サークルの繰り返し。キャンパスにはいくものの授業にはいかない感じだった。(そのつけは翌年くる)
大学2年は日常の記憶はあまりないが、入学当初からお世話になっていた、2学年上の先輩と付き合ったのはよく覚えている。
笑い声と明るい性格が特徴だけど、どこか寂し気な雰囲気を持った先輩。きっかけは何か飲み会の帰りだたっただろうか、、覚えてない・・・
付き合う前から波長が合う感じで居心地がすごいよかったのは覚えている。風邪をひいたときにすごく親身に看病してくれたり、家庭的で料理が上手だったり、すごくいい人だったのに、翌年先輩が卒業した後、早々に破綻した。理由は私がゲスの極みにいたからでしょう。それは次回の投稿で。
大学2年のハイライトはやはり「ホノルルマラソン」
サークルのルールで週2回の集合はよっぽど理由がない限り休んではいけないという掟があったのだが、それを破って、ハワイに飛んだ。辞める覚悟もできていた。
渡航費用はクロネコヤマトの夜勤仕分け作業、週五日で貯めた。当時の大学生としてはかなり高額な給料となり、給料日翌日にホノルルマラソンに申し込んだ。高校の友達、大学の友達と3人で、ハワイいくついでに走っとく?なんか友達できそうだし、いいこともありそうじゃん?的な、かなり不純な動機だったと思う。。。。
実際ハワイについてからレースまで一週間くらいあるのだが、ほとんど練習せず、観光とナンパに明け暮れた。3人とも高校まで足が速いというプライドがあったからマラソン余裕。と思い込んでいた。
ナンパはうまくいかなかった、何日目かに、「マラソンにきてそうな同年代くらいの男に話しかけよう」ということになり、ホテル近くのセブンイレブンにちょうど同年代くらいの男子二人がいたので声をかけた。すると女子も含めて4人で関西から来ているとのことで、すぐに意気投合し、7人の大所帯になった。そこからレースまで毎日のように飲み明かし、さらにメンバーも増え、10人くらいのグループになっていたかと思う。
そしてレース当日。朝5時スタートなので、ほぼ寝ずにスタート。
2万人くらい走るので、そもそもスタートラインまでが遠い・・・10分近くロスしたような気がする。
最初のうちは固まって走っていたが、すぐにばらけて、私の友達2名は自慢の足を活かし、かなりハイペースですぐに見えなくなってしまった。
ホノルルマラソンは街にとっては、年に一度のビッグイベントらしく、沿道の応援や差し入れなども豊富だった。
水を含んだスポンジを渡されて、マラソン選手のように頭からかぶったところ、まだ夜明け前なのと早歩きくらいのペースだったため、全く暑くなく、凍えるほど寒くなったのを覚えている。逆に体力を消耗した・・
パールハーバーを横目にゆっくりと走りつづけ、ハイウェイに入ると、折り返したプロランナーたちとすれ違いプロの圧倒的なペースをみて驚いた。すると少し前方に右足を引きずってる男を見つけた。彼は一緒に来た大学の友人だった・・・練習しないで走れるほどマラソンは甘くなかった。。。20キロすぎたあたりだったと思う。ちなみにその状態でも彼は完走した。
22、23キロ付近で、関西チームの女子に追いついた。一定のペースで歩いて、走ってを繰り返しながら進んでいるとのことで合わせることにした。ちなみに私はこの時点で限界を超えていたので歩けることが幸せだった。
しかし彼女たちの歩く、走るの繰り返すペースの「走る」についていけなくなり、先に行かせた。そこで彼女らと知り合ったときのことを回想する。
「学生時代なにやってた?」
「帰宅部かあ。でもマラソンの練習してきて、すごいなぁ」
「まあ、俺らは運動やってたり、校内のマラソンではそこそこ早かったほうだなぁ。だからなんとかなるかなって」
バカだ。恥ずかしい。中学3年間リレーの選手。マラソン大会でも上位にいた私が、帰宅部に置いて行かれた・・・屈辱・・・
俺はうさぎ・・・・過去の栄光(大した栄光じゃない。美化してるだけ)をプライドにして、本番で大恥をかく。
彼女らはカメ・・・今日という目標のために地道に練習してきた。
この敗北感は25キロくらいから35キロくらいまで、味わう。大学の友達の彼同様に下を向いてひたすら歩いていたと思う。
大金払って、何をしに来たんだろ・・・
まじきっつ、、、リタイヤ専用バスのりてぇ
いや、あと2キロがんばろう。いやもうだめだ。ダイヤモンドヘッドが見えるところまでがんばろう。いやもうだめだ。すぐに日本にかえろう。っていうか練習しないでマラソン走ろうと思うなんてあほだろ。。。
これが現実だ。お前はカスだ、ゴミだ、日本の恥だ。ワイキキでナンパなんかしてんじゃねぇ。でてけ。エヴァンゲリオンアニメ版のラスト2話みたいな自問自答がつづいた。
ふいに、ミスチルのTomorrow never knowsの歌詞が頭に浮かんだ。
償うことさえできずに、今日も痛みを抱き、夢中で駆け抜けぬけるけれども、まだ明日は見えず、勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いていく。
なぜ、この一説だったのかは、わからないが、先ほどまでの負の感情から歌詞だけがループする状態になった。おそらく30キロすぎあたり。この時からこの曲が思い出の曲。
気づくと無意識に少し早歩きになっていた。
35キロ過ぎだったと思う、沿道から「威風堂々!何やってんだ!日本代表はしれ!」と言われた。見ず知らずにおじさんだった。
その日私は、サッカー日本代表の応援シャツで背中に「威風堂々」とプリントされたシャツを着ていたのだ。威風堂々と真逆の姿で歩いていたので発破をかけてくれたのだと思う。
そこからは無心に走った。ゴールまでの距離も考えずに、「二度と止まるか」それだけを考えて走った。最後のゴールまでの直線、よくテレビでみる沿道にすごい観客が両サイドを埋めた大歓声のなかを駆け抜けた。
ゴールしたときの達成感と高揚感。今だにこれを超えるのはない。高校時代のライブを超えていた。時間は5時間32分(おそらく全参加者の平均くらいかと)最後のペースアップで500人くらいは抜いたと思う。
関西チームとっくに全員ゴールしていたが、もう恥ずかしさはなかった。その夜にツアーがクラブを貸し切ってくれて踊りあかしたのも、超楽しかった。同じ思いの人が500人くらい集まっていたので、自然と盛り上がれた。お立ち台にあがったりしたのを覚えてるので、軟派心のスイッチがオンになっていたと思う。
帰るころには15人くらいの仲間ができて、メールなど交換したと思う。今みたいにSNSがあれば、今でも連絡とれてそうなだけに残念。
精神的に下がりきって、上がりきった、5時間半。そして味わった達成感。人生ベスト3に入る頑張ったこととしてこれからも記憶しておきます。
日本に帰ってきて、サークルの掟を破ったため、こっぴどく怒られ「やめます」といってやめることになるのだが、引き止められ、数日で戻ったので、ホノルルマラソンは本当に行ってよかった。
次回は人生最大のモテ期。大学三年生!
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