白と黒の狭間を埋めるもの
これまでの時代は古い価値観で他人の足を引っ張ることで社会の安定を保ち、足並みを揃えることに成功していました。
確かに褒められる話ではないですね(苦笑)。
でも…
もう、抑えはきかなくなりました。
人間本来の自分に立ち帰り「制限のない、束縛のない」生き方をしたいという願いは、もう歯止めはきかないようです。
以前、火沢の頭の中に一つのワードが突然、浮んできました。
現在フォローしている方も同じ言い方をしていたので驚いたのですが、今の時代の本質を表した言葉だと思います。
「法律を守れば何をしても構わない社会」
ひっかかる言い方でしょうか?
社会が、こうなるではなく。
もう、なってる。
火沢はそう思います。
実は、このワードに対して聞き手の「感じ方」は真っ二つに分かれると思ってます。
「ワクワクする」と「勘弁してくれ」です。
これが今の社会の、人間の意識の両極端に分かれた「感じ方」の現れです。
前者はマインドがクリアになり意識が上昇し新しい生き方、人生を模索したい方。
後者は古い価値観に引っられて、他者と足並みを揃えて穏便に暮らしたいと思う方。
皆さんはどっちでしょう?
今回、記事を書かせて頂いたのは、火沢が何故、スピリチュアルと心理学、双方に関心があるかを少し話をさせて頂きたかったからです。
率直に言うと「他者との境界線」がなければ
今の社会の、白と黒、相反する、あるいは振れ幅の極めて大きい、価値観の圧倒的な「差」に対して、そのあまりにも過剰な、そして過激な人間の意識に翻弄され自分を見失い心身を壊してしまうからです。
過激だからいけないのでなく、もうそれを一旦「多様性」とみなした上で自分は自分と切り離せるかどうか、です。
現在、火沢は心理学、主にnoteでテープ式の記事を読ませて頂いて勉強中なのですが、残念ながら未だ「生きづらさ」を手放せていません。
親との関係性などで、「自分」が育たず不安定になり、他者との境界線が曖昧になる。
そして他者との距離感が遠すぎたり近すぎたり、要するに人間関係に苦しむ、と。
いつまで経っても自分が育たないのです。
そうした「生きづらさ」を手放すために過去に遡り原因を見つけ出し向き合うことで本当の自分を開放するというメソッドです。
火沢は専門家ではないし、あまり迂闊な事は言えないのですが、恐らくアドラー心理学が源流であり、今の時代に即した形で、例えば少し前に話題になった「心屋仁之助さん」など、アドラー派生のNLPをさらに応用したような心理学が散見されました。
注(お世話になっているテープ式は独自の理論かもしれないので、あくまで火沢の見解です。ご容赦を。)
noteでも自己受容とか自己肯定感とか心理学的なワードが当たり前のように飛び交っています。
では、なぜこのタイミングなのでしょう?
なぜ今、この時代で「生きづらさ」というワードがこれほどまでにトピックとして挙げられるのでしょうか?
火沢は以前からスピリチュアルにも関心を持つようになりました。
そして今はアセンションの時代だということです。
人間の意識が上昇していく時代です。
マインドがクリアになる時代です。
不要な物を捨てる時代です。
でも…
その「不要な物」こそ大切なものだという方にとって、今の時代ほど残酷で苦しい時代もないのです。
しかし…
前述したように、古い時代とは足並みを揃えて社会を安定させる時代でした。
悪く言えば支配者層が被支配層を統制するのに都合のいい社会システムということになります。
そして自分を何らかの理由で開放できない方々は支配者層に「おもねる」しかない、というのが現状です。
それは共依存関係かもしれません。
しかし社会が分断し、競争が激化し、勝敗がが明確に分かれてしまうこの時代において、自分を確立し経済的にも精神的にも自立することは容易ではないような気がします。
だからこそ…
例えば芸能人に対する誹謗中傷という形で、自分の「生きづらさ」が形を変えて噴出してしまうのです。
開放している人間を、羽ばたいている人間を認めることができないのです。
自分は鎖に縛られているからです。
しかし…
自分を開放できないなら、古い時代の価値観に依存していた方がまだ生きやすいというというように、生きづらさが、生きやすいというように錯覚し逆転してしまうのです。
しかし…
それこそが、今までの日本社会の美徳であり日本人らしさでもありました。
利他主義とか…
和を持って尊しとなすとか…
皆さんはどう感じますか?
火沢は…
今のアセンションの時代を
「開放されたがり」と「支配したがり」の殺し合いだと思ってます。
どちらも譲りませんよね?
譲らないのではなく「譲れないのです」。
白か黒か…
我々の心を覆っているのは、自分のこだわりを手放せない、そんな二元論です。
もう、お互い理解不能な領域に行ってしまったのでしょうか?
俺には分かりません。
先に述べたように「法律を守れば何をしても構わない社会」。
それはもう片足以上は突っ込んでます。
実現していると言っても過言ではありません。
そんな社会の中で自分を保つには火沢は心理学を学び境界線を引かなければなりません。
でも…
これがなかなか難しい(苦笑)。
この社会では言葉、あるいは「正論」で溢れています。
しかし、その正論が時として反発を招くのです。
「そう言われても…」
とか(苦笑)。
火沢は…
言葉に限界があるから人は詩を、文学を、芸術を生んだのではないかと思っています。
漠然とはしていますが白と黒の相反するものの相互理解には、それらが必要と思っています。
この社会には、まだまだ「生きた言葉が圧倒的に少ない」。
人の心に到達するのは言葉ではなく「生きた言葉」即ち「生き様」です。
答えも正論も、大事ですが火沢は今の時代のなか、自分と向き合い、もがき苦しみながら懸命に生きてる人の記事が好きです。
答えは答えでなく。
正論は正論ではない。
そんな生き様を、キャラクターを漫画でかけたらいいな、と思ってます。
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