「誰」を許すのか
↓こちらの記事を読んでいて、「はっ!」となりました。
》なんのための許す??
》誰のための許す??
これ!
分かってたようで、明確にしてなかった!
【誰のための許しか】ってこと、
【誰を許すのか】ってこと、
ここ、明確にしてなかった!
【私のために】【私を許す】のだと😂
問題が起きた(ように感じる)ならば、
その問題を突っついても、ほじくっても、
相手のせいにしても、
答えは出ないし解決もしない、
なんなら拗れて沼るのは、
もう十分体験済み😂
相手が悪い訳では無い。
私が悪い訳でもない。
ならば、【許す】しかなくて。
「誰を、何を許すの?」となった時、
「問題(にみえる物事)を作ってしまった自分」
もっと言えば、
「問題が起こるような相手と関係を持ってしまった自分」を
【許す】しかないんだな、と😂
「見抜けなかった自分(自我)」を、
「自己の位置の私」が【許す】のだ😂
「こんなめんどくさい事になるなんて思わなかったよね💦
でも精一杯頑張って対応したよね、偉かったね🥰
もう終わりにしようね。
ほんと、お疲れさん🥰」
そうやって、問題ごと相手を手放してしまえば良かったんだな、と。
「自分は悪くない」と執着してしまうから、
「悪い相手」を握りしめてしまう。
「自分が正しい」を証明するには、
「正しくない他者」が必要だもんね😂
「先にやらかしちゃってる」のは私自身なのだ😂
だから、「そういう思考をしていた自分」に気付いて、許して、
「そういう二極的思考癖」を手放せば、
これまでの問題生成のパターンから抜け出せるって事なんだろうな。
結局は「問題」なんかなくて、
全ては学びや体験だったと、
腹の底から納得すること。
まだまだ、二極化から抜け出せないものだな😂