ビジョンクエスト3日目

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ようやく明るくなってきた。朝だ。お寺の鐘の音が聞こえる。
でもまだ薄暗かった。カラスが低い声で鳴いた。

今日も雨。少し小降りになったので、結界の外に出た。体が冷えていたため、夜中から尿意があったのだ。しかし雨脚が強く、夜目も利いていないので我慢していた。膀胱よありがとう。
意識はしっかりしているが、昨日以上に体がふらふらしている。足元を意識していなかったため、豪快に滑り落ちた。アクロバティックにトイレに行く経験なんてあるだろうか。思わず笑った。
尿も昨日以上に出ている。そんなに水分があったのか。幸い、雨のおかげで喉に乾きがない。尿として失われても大丈夫だと思った。滑り落ちたことは忘れていた。

ブーンと重低音が鳴り響いた。聞き慣れない音なのでビビった。黒くて大きく、蜂のような虫だった。パトロールだろうか。少しこちらを見ながら空中を漂っていたが、すぐに方向を変えて行ってしまった。
だが、何度か戻ってきた。それだけでなく、ブルーシートで3回休んでいた。気に入ってくれたのだろうか。安心できる場所でなによりだった。

寝転がると、お腹がキュルキュルと鳴った。でもお腹は空いていない。1日食べないことはあっても、2日以上食べないのは初めてである。ここにあるものからいただいている意識だからだろうか、意外とどうにかなりそうだと思った。
肋骨あたりを触ると、やはり骨が浮き出ていた。膝を立てると、太ももの痩け具合が嫌でもわかる。体の軽さからして、おそらく48-49kgくらいだろう。生きた心地がせず、生理が来るか心配になる重さである。なんとしてでも50kg以上増やさなければならない。
そうして、今ではなく未来を意識するようになった。自宅へ帰る道中に、ラーメンを食べて、パンを食べて。途中で温泉に入って、そばを食べるのもいい。前回食べられなかった焼き魚もありだ。断食明けの胃に負担がかかりそうな食べ物だが知ったこっちゃない。断食明けのほうが小麦アレルギーも出にくいから食べてしまおう。ここぞとばかりに欲に走る。普段は米と野菜しか食べてないので少しくらいよかろう。でもお腹は空かなかった。
さすがに意識を今に戻そうとしたが、戻らなかった。今度は荷造りのことを考えた。この洋服で帰るから下山で着る服はああ入れて。あの荷物はこっちに入れて。寝袋はそのままで、紐で縛って…。未来を意識すると、どんどん言葉もイメージも溢れてくる。未来への力は凄まじい。

そろそろ今に戻ろう。
筋肉に意識を向けて、寝たまま動かした。大丈夫、動く。足先も意識できる。
おでこが熱い。体が震える。心なしか頭痛もある。それでも上半身の中心から、温かさも溢れている。
生きようとしている。死ぬ気はさらさらない。ホメオスタシスのおかげで、体が生きようとしてくれている。私は、今、生きている。

そんなことを感じることって、普段あるだろうか。多くの人は快適な部屋の中で過ごし、これまた便利で快適な生活をしている。仕事をして、趣味をして、寝て、そして朝が来る。死ぬとか生きるとかそんなことを意識しなくても生きていける。敷かれたレールの上や、他人の言葉を基準に、何も疑うことなく生きていけば、道を外れることもない。

だけどそれは、果たして自分の人生なのだろうか。
自分として生きているのだろうか。
自分とは何か?
何のために生きているのか?

コーチングを学び、人とは何かを知り、なりたい自分になるために変わってきた。
そのコミュニティを離れて、目に見えない部分を中心に、いろんな人のイベントに参加して学び、視野を広げ、変化を起こしてきた。
そうして私は今を、未来を生きている。
様々なものから様々な形でエネルギーをいただいて、命を繋いでいる。時間も豊富にある。
あとは自分がどう使うかだ。
その命も時間も、自分の人生を生きるために使いたい。

改めて、今日ここに、私は自分らしく生きることを心に誓った。



夢現だった。

「Good morning」
声がしてびっくりした。
動くことに意識を向けてから、のそのそと体を起こしブルーシートを持ち上げる。

Aさんがいた。
まさか来るとは思わなかった。久しぶりに人に会えた。会えるとやっぱり嬉しい。
2泊3日でビジョンクエストを終える人がいる。おそらくその人を迎えに来て、併せて私たちの調子も確認しに来たのだろう。
自然からいただいているからか喉の乾きも飢えもなくすこぶるいい意識であることと、体に震えがあることを伝えた。

体の震えについて伝えたときに、Aさんが眉根を寄せた。
「これを授けよう」
バックパックから取りだしたのは、メディスン・ドリンクだった。本当に体が危険な状態になったら飲むようにと、私からは見えない木の根元の窪みに置かれた。
メディスン・ドリンクの存在だけで十分だった。大げさだが、生きる糧となった。

たったあと1日。もうあと1日。
生きていける。いや、生きる。

明日はもっと清々しくなりそうだった。



起きた。夜である。くしゃみが出た。
なんだか背中から伝わる土の感触が違う。こんなところに石なんてあっただろうか。
足のほうから風が伝わる。訝しくなり、足を上下にバタつかせると、ブルーシートの感触がなかった。寝ている間に定位置からズレたようだ。
さてさて、どのタイミングでブルーシートを直そうか考えていたが、無視しきれなくなった事実に目を向けることにした。
ある程度年数の経った生きてる木で右足が支えられているのだが、なぜだ? こんなところに木なんてあったっけ?
嫌な予感がする。意を決してブルーシートを退け、体を起こした。

「めちゃくちゃ滑り落ちてる!!!!」

思わず声が出た。そしたら心配する女性の声が聞こえた気がした。寝言だったら嬉しいな。起こしてしまったら申し訳ないが。もしくは反響した私の声かもしれない。
いや、そんなこたぁ気にしなくていい。それよりも大事なことがある。暗闇のため、結界の正確な位置がわからない。昼間の記憶を頼りに思い出す。おそらく出ちゃってる。結界から出てはいけないのに出ちゃってる。
手探りで荷物を探すが見当たらない。どれほど滑り落ちたんだ?
幸いにも寝袋の中にマッチ箱を入れていた。湿気があるため何度も擦り、なんとか1本点火させる。2秒ほどで消えた。なにもわからなかった。
もう1本点火させる。今度は長く点いた。思った以上に斜め下へずれていた。荷物の位置がわかったため、火を消して、またしてもニャッキのように移動する。

適当なところで、手探りで荷物を手繰り寄せる。びしょ濡れだった。下山時に着る服が濡れてないといいのだが。日中確認するとしよう。
もう一度マッチを点火する。滑り落ち対策として用意した枝とブルーシートの位置を確認し、定位置に戻った。
寝袋の足元が雨を吸い込んだことによる重みと、葉が滑りやすくなっていること。そして寝袋自体の滑りやすさによって、あそこまでずれたのだろう。もはやなんとも言えない。
今度はそこまで滑り落ちませんように。
そう願いを込めて、眠りについた。


つづく

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