見出し画像

父と片手鍋のラムスデン現象

私は子どもの頃、父が作ってくれるコーヒー牛乳が好きだった。
焦げ目のついたアルミの片手鍋に牛乳を注ぎ、風味付け程度のインスタントコーヒーとザラメをザクザク入れていく。
いつも吹きこぼれる手前まで煮立たせてしまい、慌ててガスコンロを切る父。
ふわふわに吹いた牛乳が冷めると、表面には薄い膜が張っていた。

膜が張るその現象を「ラムスデン現象」と言うんですって。

コップをフーフーすると、白い膜はゆらゆら波打つ。
熱々のコーヒー牛乳をすすると、くちびるに膜が張りつくのでペロリと舐める。
コーヒーの苦味がちょっぴり大人びて、そのくせ子ども好みの甘ったるさ。
ほろ苦さが背伸びをしたようで、魅惑的なおいしさだった。

今でも小さな片手鍋を見ると、父が作ってくれたコーヒー牛乳を思い出す。

・・・・・・・・・・

「もしもしお父さん? 私だよ。元気にしてる?」
「おお、なごみか。元気だよ」

昨年末、前立腺に腫瘍が見つかった父。
一時父の食欲が落ちたと、母がとても心配していた。

「来週の月曜日、病院に行く日だよね。私、仕事休みもらっているから車で送って行くよ」
「トオルが乗せてくれるから、心配しなくても大丈夫」

トオルとは私の三つ年上の兄。
その名前は兄が生まれる20年以上前に亡くなったおじいちゃんが名付けたものだった。

私たち兄妹は、おじいちゃんがどんな人だったのか分からない。
写真もなかったので、どんな姿でどんな表情をするのかすら分からなかった。
それは父も同じだった。
父は「親父の記憶は全くない」と言う。

「ねえ、私も病院について行ってもいい?」
「コロナ流行っているけど怖くないかい? 無理して来なくてもいいんだよ」

心配そうにそう言いながらも、なんだかんだ嬉しそうな電話口の父の声。

・・・・・・・・・・

おばあちゃんの遺品の中からおじいちゃんの写真が見つかった。
セピア色の写真には、レトロな丸眼鏡をかけた和装姿の青年が写っていた。
おじいちゃんと呼ぶには違和感がある、端正な顔立ちをした青年だった。
戦地から無事に帰還してきたものの、若くして心臓を患い亡くなったという。

兄に付いたトオルという名前は、本当は父に付くはずだった。
間もなく生まれる三人目の息子である父に、おじいちゃんが戦地から名付けた名前が「トオル」だった。
しかし戦地からの便りが行き違いになり、父の名前は別のものになってしまった。

父は母と結婚し、生まれてきた男の赤ん坊に「トオル」と名付けた。

・・・・・・・・・・

看護師さんたちはマスクの上にフェイスシールドをしている。
一か月前に来院した時より、コロナ対策が厳重になっていた。
待合室では皆が、距離を保ちながら座る場所を探している。
このコロナ禍、付き添いは最小限にしなくてはいけないのに、家族でぞろぞろと来てしまった。
私は肩を小さくして長椅子に座った。

「430番の方」

1時間半ほどで父が呼ばれた。
いったん診察室に入った父が、こちらに向かって手招きをしている。

「ご家族の方もどうぞ」

中から看護師さんに呼ばれ、私は待合室の椅子からおろおろと立ち上がった。
兄が「いいから」と私を制して、父と一緒に診察室に消えた。
コロナの影響で、診察室に入れるのは患者本人と家族は一人までと決められていた。

「お兄ちゃん。お父さんの経過はどうだって?」
「数値がかなり良くなってるってさ」

ニコニコ笑顔で診察室から父が出てきた。
その姿は小さく年老いて見えた。
ぶかぶかのジーンズの足が心もとなく細い。

「ホルモン注射が髪にも効いているんだな」

父曰く「髪にボリュームが出た」と、満足そうに頭のうぶ毛を撫でた。

・・・・・・・・・・

病院から実家に帰ると、父がコーヒーを淹れてくれた。
茶の間には、青年のおじいちゃんと年老いたおばあちゃんの写真が夫婦寄りそうように飾られている。
父の二人のお兄さんが「親父の思い出が一番少ないから」と、末っ子の父に写真を譲ってくれたそうだ。
父は自身よりずっと若い父親の姿を見て、なにを思うのだろう。

「なごみ、ミルクと砂糖はどうする?」
「なにもいらない。ブラックでいい」

毎回、同じ言葉のやり取り。
子どものころのように、牛乳も砂糖ももういらない。
私は苦いコーヒーを飲めるいい大人になったんだもの。

時はなぜ流れるのだろう。

もう、ラムスデン現象は起こらない。
ゆっくり時間をかけて温めればいいの、お父さん。
私は父が淹れてくれた濃い目のブラックコーヒーをすすった。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?