見出し画像

マイプロフィール~内気で人見知りだった私がやりたいことを見つけた道のり~

やりたいことをやろう!
やりたいことで人生を輝かせよう!
このような言葉が目に入る日常。
生き生きと輝いている人を見て、羨ましかったり、落ち込んだりしたことはありませんか。

私も、以前はそうでした。
やりたいことがみつけられなくて、流されるまま、人から求められることをやっていた日々。
しかし私は、それがいつしか、自分のやりたいことに変わっていきました。
この私の経験が、同じように悩んでいる人の
背中を、そっと押すことができたらいいなと
思っています。


コンプレックスだらけの子ども時代


1965年、石川県金沢市に二人兄弟の長女として生まれた私。3才違いの弟が1人。
今考えると、私がずっとコンプレックスと思い続けてきた「人見知り」は、この弟の存在と大きく関係していたように思います。

弟はいつも周りに愛嬌をふりまく可愛がられキャラ。それにひきかえ私は、自分から話したりできない内気な性格でした。
母親からは、「女の子なのに愛想がない。弟と性格が入れ替わっていたら良かったのに」と言われていた日常。

目立つことはしない、目立ちたくない。できれば静かに1人で本を読んで過ごしたい。本当に地味な幼少期でした。

地味に静かに存在を消すようにしていた日々。しかし、小学校高学年から急激に身長が伸び始め、中学を卒業する頃には170㎝目前の身長になっていました。

今でこそ女性にとって、背の高さは魅力のひとつととらえられます。しかし時代は昭和。人ごみで頭ひとつとび出てしまう身長は、私にとって新たなコンプレックスになりました。

高校は県立の女子高へ進学。ここで超スパルタの英語教育を受け、英語が得意になりました。この得意な英語を大学でもっと学び、将来、英語を使った仕事に就きたい。

そしてできれば、自分の言葉で海外の人たちとコミュニケーションを楽しみたい。始めてやりたいことを見つけたのがこの頃です。

しかし経済的理由から、希望する県外の私大への進学を断念。親に言われるまま、学校の推薦で国内生命保険会社の事務職に就職しました。

今思えば、奨学金をもらって進学する選択もあったのに、この頃の私は何事にも消極的で、奨学金など頭にも浮かびませんでした。

内気で人見知り、外見にもコンプレックスを持ち、消極的で自ら行動しない。それが10代の頃の私でした。

社会人で初めて夢を持つ


親に勧められて入社した保険会社。事務職として働き、自由になるお金を手にした私は、ファッションが好きになり、毎月新しい服やアクセサリーを身に着けるようになっていました。

そしてファッション雑誌を読んでいる時に、「販促企画」という仕事があることを知りました。

私も販促企画をやってみたい。自分の立てた企画で、モノやサービスが世の中に広まっていく。やりがいもありそうで、事務では味わえない経験もできそう。

雑誌を通して知った世界に夢を持ち、5年間勤めた保険会社を退職することにしました。

私にとって人生で初めて、自分で下した決断。やりたいことを見つけ、行動を起こしました。

その後は地元でイベント企画会社、印刷会社の企画室で「販促企画」の仕事に携わることができました。

しかし、販促企画の仕事は抱いてたイメージより、はるかに様々な能力が求められました。デザイナーやプランナーなど、クリエイティブな才能ある人たちと、一緒に仕事をするなかで、自分の能力のなさを痛感する毎日でした。

努力だけではどうにもならない世界だと、当時の私は落ち込み、悩んで、企画の仕事から離れることにしました。

ひょんなキッカケが今の自分の基礎をつくった


夢のため挑戦した転職。しかし自分には、その夢を叶える能力がなかった。
この経験から仕事に対するスタンスが「自分がやりたいこと」ではなく。「求められる」ことをするように変わっていきました。

当時登録した派遣会社から紹介されたのは、通信会社コールセンターのオペレーターでした。そして数年オペレーターを経験した私に、派遣会社の担当者から営業をやってみないかとオファーがありました。

“人見知りで内気で消極的。営業に向く要素を何ひとつ持っていない私に営業?”
このオファーには戸惑い、驚きました。

しかし「通信業界の知識とコールセンターで身につけた、相手の話を聴く力があれば大丈夫!」と言ってくれた、その方の言葉に従うことにしました。

自分がやりたいことではなく、人から求められたことをやってみることにしました。

話さずに相手の話を聞くことが営業の成果につながった


私が受けた営業の仕事は、既存クライアントの潜在的ニーズをキャッチし、新規提案に繋げるというもの。幸運にも、初の女性営業というもの珍しさからか、訪問アポイントが不思議と次々取れました。

そしてなぜか、他の営業担当が聞き出せなかった情報を、私は聞き出すことができたのです。そのため、私のヒアリングは、会社でも重宝されるようになっていきました。

これは自分が話すことが苦手だったがゆえに、いかに相手に話してもらうかを意識して、聞き手に徹していたからでしょう。
自分のコンプレックスや苦手なことがプラスに働き、長所になっていった。
ここが今の自分の基礎になっています。

自分が自分らしく居られる居場所を見つける


まったく予期しない流れで、長い間のコンプレックスが人生に好転反応をもたらしました。そしてやりがいを少し感じ始めた時、次の転機がやってきたのです。

偶然見かけた某外資系保険会社の求人。給料の良さと保険業界の知識があるという理由だけで応募しましたが、ラッキーな事に多数の応募のなか、私の採用が決定しました。

これまでの派遣社員時代と比べると年収は約2倍、そして福利厚生も充実した待遇。振り返ると、私は節目ごとに、思いもよらない幸運に恵まれているように感じます。

保険会社での仕事は代理店営業でした。
保険の代理店営業は、自分が直接、誰かに保険を販売することはありません。担当する代理店にいかに自社の保険商品を販売してもらうかが、私の仕事です。

営業として成果を出すため、取扱商品の採用提案、販売担当者の教育研修、拡販企画の提案などを行います。
簡単に表現するなら、「売ってもらうための営業」を行うのが、私の仕事でした。

そのためには、実際に顧客へ保険を売る販売担当者を教育する必要があります。
しかしそのためには、場合によっては数百人の前で研修を行わなくてはなりません。

話すことが苦手な私にとって、大きな関門が待ち構えていました。仕事ですから、「私は話すのが苦手なので無理です」とは言えません。

研修に向けて、何度も練習をし、分かりやすく伝えるには、どう表現をするのが良いかと、試行錯誤する日々を過ごしました。

その甲斐あって研修は好評で、私が研修を担当した代理店が、頻繁に全国ベスト3に入るなどの実績を出すこともできました。


私自身、話すことが苦手だったので、実際に顧客へ保険を販売する担当者の不安を、同じ立場として捉えることができたことが良かったのかもしれません。

売上目標を達成し、営業として社内外で評価の声をもらうこともありました。
ただ、私は売上額よりも、担当代理店の担当者の人たちが自信を持って保険を販売できるように変化をしていくプロセスに携われること。
それが、なにものにも代えがたい喜びであり、働くモチベーションにもなっていました。

自分のためには頑張れないけれど、関わる誰かのためなら頑張れる。自分が自分らしく居られる居場所はここだと気づいたのです。

破れたと思っていたかつての夢が、実は叶っていた


「販促企画」というクリエイティブな仕事に憧れ、挑戦して挫折。自分には事務職しかできないと思い、求められる仕事をこなしてきた若い頃。

その流れで周りから勧められるまま、営業の世界に入り、始めた代理店営業。
でも実は、この代理店営業という仕事こそ、若い頃の夢「販促企画」だったのです。

クリエイティブとは真逆の印象だった営業が、実は非常にクリエイティブな仕事だったのです。

やりたいことを目指さず、求められることをやっていく。
それが私のように「自分のやりたいこと」につながっていくこともあります。

コンプレックスだって、活かし方次第ではあなたの大きな個性になり、長所になることもあります。

話すことが苦手だった私が、聞き手にまわることで周りから認められたように。

消極的で夢など持てなかった子どもが、もうすぐ還暦を迎えるアラカンの今では、次の夢を描けている。

本当に人生は予測不能で素晴らしいものですね。

このnoteでは、私が紆余曲折の人生で感じたことや、やってみて良かったことなどを、シェアしていきたいと思っています。

この発信が、昔の私のような誰かにとって、ひとつのサポートになれたらいいなと想いながら。

良かったら、このnoteをこれからも覗いてみてください。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?