足るを知る
術前術後でこんなに変わりました
という写真を撮る方もあるようです
私は昔撮っていましたが
最近はサッパリ
余程酷く歪んでる場合は
本人のスマホで撮して見せるようにしています
何でかというと
その方が後々本人の確認に使えるだろうからで
コッチとしては
歪みが無くなりました
というのは別にそれは当たり前だとしか思っていないので
取り立てて写真撮る気にもならないのです
写真どころか前後の確認さえもしませんでした
触って変化は感じ取っていますし
糖化が著しくなければ
多少の痛みが残っていても
すぐに解消するものだから
気にすることはありません
念の為
主訴の確認だけはしてましたが
最近は直立してもらって上から抑えることをしています
これは体感や視覚で確認するより
如実に違いが判るので
行うようになりました
姿勢が歪んでいれば崩れます
ですが
捧法の後も崩れなくなりますが
これはしかし捧法を行わずとも
崩れなくさせるのは簡単で
声を掛けてちょっと立ち方を変えてもらうだけ
歪んでるということは
重力に対してバランスが崩れ
アチコチに不均衡に力が入ったり
力が脱けたりしているから
崩れるワケです
その過干渉になっている重力を相殺して
引き上げてさしあげれば
自然と整い
崩れにくくなります
不均衡で力がアンバランスだから
血やリンパと行った
からだの中で循るべき水分が
循りきれないから不調になっているので
整えば
あらゆる不調はその必要を失います
で
パーツが少なくなれば
その分歪みも減るんですね
骨盤が歪んでるんです
という方でも
膝立ちをしていただくと
自然と整います
つまり
パーツが増えると
その歪みを許容出来てしまうということなんです
O脚もX脚も関係無くなります
軽い股関節のズレなんかも
自然と調整されるんじゃないでしょうか
当然
上から抑えても崩れません
だからこそ
姿勢を整えるには
膝下の状態が重要になってくる
ということでもあります
そういう意味で義足は大変でしょうね
歯に被せものをするだけだって
ミリ単位で調整が必要なくらい
本当は感覚は鋭いもので
器具では絶対に両脚を揃えることは不可能ですので
両脚でも片脚でも歪みは必定になります
これはどんなに技術が進歩しても
恐らく不可能でしょう
そう考えるとからだの精妙さには
改めて驚嘆します
多くの方はすでに
自身のからだを感じる事自体が少なくなっているからこそ
不調を抱えたまま生きていられるんですけども
使ってると思われる
指先や舌口でさえ
相当に感覚を鈍くしています
まして
膝下なんて
両脚を失った方
麻痺してる方と変わらないくらいに
自分のからだの一部とさえ思っていないんじゃないか
っていう歩き方をしている人がほとんど
自分の一部だったと気付くのは
痛みが出たときくらいでしょう
その痛みを我慢して放置して
すでに感じなくなってしまっているような
方も多く見受けられます
捧法の際に
そんな処が痛いなんて!
という叫びはよく耳にします
脚は移動の為の機能であって
支えるだけの突っ支い棒では無いんですが
皆さん動かす為の機能を使わず
突っ支い棒を無理矢理動かしてらっしゃる
踵も趾もふくらはぎも脛も土踏まずも
何もかも使っていないのが現状
使わないから機能が衰えて
それが経年でいよいよ
正座ができなくなり
しゃがめなくなり
階段の上り下りが辛くなり
立ち座るだけでも大仕事になってしまうのです
機能を使わずにどれだけ歩いたって
突っ支い棒が壊れていくだけです
移動手段である脚が動かなくなるということは
動物にとって本来は死を意味します
幸か不幸か
人は脚の機能不全が死に直結するものではなくなっています
しかし
折角の機能を使わずに壊すくらいなら
譲って欲しいと思っている方は
大勢いらっしゃるでしょう
ちゃんと脚を機能させずに壊してるというのは
折角の宝物を
みずみずドブに捨てるような
ある意味傲慢です
親から五体満足なからだを与えられているだけで
どれだけ恵まれているかに
気付かないとね
じゃあどうすれば良いかって
機能を使って立ち歩くだけで
機能は回復し
脚は十全に使えるようになります
それは幾つになっても
幾つからでも変わります
#伊豆 #富士 #静岡 #山梨 #神奈川 #からはだふくらか
・全身及び内臓の深部バランス調整
・血流の回復から改善、血流の歪みの修正、修復誘導までの対応
最後までお付き合いいただき
ありがとうございます
以下の有料部は
単なるご挨拶だけとなっています
もし良いなと思っていただけましたら
お気持ち頂戴いただけたら嬉しいなと
ライブなどの投げ銭みたいなものと
お気軽にお考えください
ここから先は
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?