見出し画像

ちょっとだけ涙が流れた夜

「もう歯を磨いて寝なよ」

土曜日の22時半。和室にタブレットを持ち込んでYouTubeを観ていた三男に声を掛けると、背を向けたまま「これが終わったら寝る」と言った。

私はため息を吐きながらドアを閉めると、水筒を洗っていないことを思い出して、パジャマの袖をまくりキッチンに立った。蓋を開けてパッキンを外し、蛇口から水を出す。これだけなら冷水でもいいかなと思いながらも、少し迷って温水に切り替える。スポンジにオレンジの香りがする洗剤を数滴垂らし、まだ冷たい水を含ませて泡立てていると、眠そうな顔をした三男がリビングにやってきた。

三男はタブレットに充電器を繋いで置くと、何も言わずキッチンに向かって歩いてきて、水筒を洗っている私の後ろからぎゅっと抱きついた。

私は泡立ったスポンジを置いて手を洗い、タオルで軽く拭いてからくるりとまわって三男の頭を撫でた。私の腰にぎゅっとしがみついた三男は、パジャマに顔を埋めたまま大きく深呼吸をした。

「疲れちゃったの?」
「うん」

三男の土曜日は忙しい。
もともとミニバスのクラブチームで午後と夜の練習があるのに、4月半ばに入部した小学校のバスケ部の午前練習にも参加したいと言い出し、朝から夜までバスケをして過ごす。

クラブチーム優先を条件に入部したバスケ部だったので、私も夫も午前の練習に参加させるつもりはなかった。しかしどれだけ大変だよと伝えても、三男は「友達とバスケしたい!ボク、頑張るから!」と聞かなかった。

でもやはり疲れたのだろう。

私は三男の頭を軽く抱えた。きっとあと数年で抜かされてしまう身長は、また少し大きくなった気がする。「ボク、頑張るから!」と言った手前、自分から「疲れた」とは言えなかった三男は、とても温かくて愛おしかった。

「頑張ったね」
「うん」

怒られると思っていたのかもしれない。三男は顔を上げて私を見ると「えへへ」と笑った。私はなんだか泣きそうになった。それを誤魔化すように、もう一度頭を撫でてから「さぁ、歯を磨いておいで」と言った。

「うん!」

素直に離れた三男は洗面所に行って歯を磨いて戻ってくると、「おやすみー」と手を振った。

「おやすみ」

手を振り返してリビングのドアが閉まるまで見送る。トントンと階段を上がる音がして、最後に電気がパチンと消された。私は再びパジャマの袖をまくって、蛇口から水を出した。今度は冷水のままでいいやと思った。

幸せだな。

水筒を洗いながら、ちょっとだけ涙が流れた土曜日の夜だった。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?