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本を読む

小さい頃、代官山の蔦屋書店は、お母さんが通う美容院について行く時に必ず寄って絵本を買って、本に囲まれるあの空間が好きで、街を歩くだけでも、少しだけ大人の気分に浸っていた。
何だか少し特別だったのかも。
洋服を買ってもらったり、お母さんと話しながら歩いて(と言っても彼女は歩くスピードが速いのでついて行くのに必死です)
私の家の近くには図書館があって、
お母さんも本が好きで、だから今も本が好きだし、図書館にはよく通う。
蔦屋書店に訪れたのは久しぶりだった。

自分は本の何に惹かれてるのだろう。

紙を捲るたびに、誰かの人生の一部が、思考が露わになる。そして、見えないはずの繋がりがしっかりと糸で結ばれていることを知る。
それが好き。
本の中の世界は私に丸見えなのだ。
丸見えなのに、時々いきなり、あとは想像に任せたよ!と放り投げてくる。

私たちの世界も、誰かが見ている誰かの書いた本だったらおもろいよなーと時々思う。
生きてると、見えないことばかりで、周りの人が何考えてるのかも分かりっこない。
偶然。とか、運命。とか呼んじゃうんだけど、
本の中の世界は、偶然やら運命やらの先端を、原因を過程を、私は勝手に登場人物たちの知らないところで、辿れるのだ。
あなたたちは、実はあの時から繋がっていたのだよ!とネタバレしたくなる、クスッと笑う。
パズルのピースがハマるとき、緩んだ頬を涙が伝う。
時間が交差する。
生きていて、交わりがないはずの人たちの時間が交差する。
ハッピーエンドもバッドエンドもウェルカムだ。
じゃないと、それは嘘くさい。
人間らしくて、人間の凸凹した人生らしくて良い。
勝手に覗き込むけれど、右往左往する彼らの人生を覗いていると、気づいたら、自分の人生に、本の世界の人たちもさっきまでいたように感じて、当たり前の日常が少しだけ違うように見える。
それは、世界の色を私が決めていて、
私の世界に彼らを重ねていて、
どれだけ緻密に状況の描かれた本であっても、
浮かべるのは私で

並べられた言葉の奥に広がっている世界は
私を惹き込む。
まるで電車の隣の席の、誰かさんの人生、交わらないけど、交わってる人達、同じ地球の端っこと端っこのお話。

久しぶりにお母さんと歩いた景色は、
記憶に残る場所と少しだけ、違っていた。
同じだけど、今見えてる、感じてるものと、
昔見ていたものは違うのだろう。
昔の自分の目線は、あまり思い出せない。

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