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うつ病患者の家族
今月に入り多忙でろくに
家にもいられませんでしたが
今日は久しぶりにちゃんと休めましたので、
パートナーとささやかながら打ち上げをしました🍻
お互いに休みもなかなか合わず行き違いで最近は
ゆっくりお話も出来てませんでした。
私は最近比較的心の調子も安定してきており
身体も激務続きだった割には比較的軽い症状で
済んでいます。
そのためか
初めてパートナーが、私がうつ病になってから
傍にいて感じたことを話してくれました。
私自身が思っているより
私は復職してからの半年間
なんとか脱落しないように生きてくることが
本当に精一杯で
パートナーが支えてくれていることに感謝は
勿論しつつも、どう感じているかまでは考える
余裕がありませんでした。
うつ病になってからの私の辛い姿を傍にいて見ることがどれだけ苦しいことかを涙を浮かべて話してくれました。
私が辛そうに仕事に行く姿を見て
本当に帰ってくるのかを毎日心配していたそうです。
家族が心身がボロボロになり、それでも這うようにして仕事に行ってくる姿を見ることの辛さや
送り出したらもう帰ってこないのではないかと
心配だったこと、毎日心配することがどれだけ苦しかったかを初めて話してくれました。
結婚してからの日々の中で一番辛かったそうです。
私は自分が生きていくのが必死で
パートナーの気持ちまで察することはとても
出来てませんでした😿
また、今ならそういうことを話しても良いと思える程私が回復してきたということなのかもしれません。
私にとっても、人生で一番くらいに辛い日々でしたが、伴侶がもしかしたら急に死んでしまうかもしれない、帰ってこないかもしれない、と傍で見ていることも同じくらい辛かったのかもしれません。
話を聞いてハッとさせられ
初めてうつ病で苦しむ人の家族の気持ちについて
考えるようになりました。
親友の自死の供養とは
私は他の記事でも書きましたが
数年前に親友をうつ病による自死にて失っています。
それからの日々は本当に苦しくて辛くて
何が一番の供養なのかを考えてきました。
ご自宅に行き線香をあげ毎年墓参りに行き、
お母さんとも仲良くなり一緒に旅行に行ったりもしました。
それでもそれくらいで親友の気持ちには全く近づけませんでしたし、供養になっているとも思えませんでした。
そして、自死を止めることが出来なかった自分を
責めてきました。
今年自分自身が、思いもよらずうつ病になった時
驚きもしましたが、ようやく少しはうつ病に苦しんだ親友の気持ちに添えるのかなとも思いました。
そして復職後何度も絶望を感じ
希死念慮に襲われ、もしかしたらこうして
同じ病気で私も自死することが宿命なのかも
などとも思ってしまいました…
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でも毎日終電まで働く日々の中
親友の遺影を見ていて思いました。
同じ病気に私もなったけれど
打ち勝って生きていくことが一番の供養なのでは
ないかと…
これで私も自死してしまって
私の家族に、私が友を失い苦しんできた辛さ以上
の苦しみを課してしまったら、この苦しみの連鎖が止まらないではないかと…
やはり打ち勝って生きていく姿を見てもらうことが、意味があることなのではないかと
私は勝手ながら思うようになれました。
生きる
やっぱり、あの苦しみ以上の苦しみを
大切な家族に知ってほしくはありません。
自死してしまった親友の供養としても
共に生きていく家族のためにも
何が何でも前を向いて
生きていこうと
なんとか生きていこうと
思います
久しぶりに大真面目な記事を書いてしまいました💧