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やっぱり自分にはいい悪いを判断する癖がある

前にもnoteで書いたのですが、自分でいい悪いを勝手に判断する癖があるなあと感じることがあったので、そのことについて書こうと思います。



今回問題になっている思考癖とは、「思い込み」です。人間をやってきた皆さんなら共感いただけるかもしれませんが、「いい悪い」という判断が、自分で自分を苦しめていたんですね。

そこで、前回のnoteにも書いたのですが、
・そもそもいいも悪いも存在しないということ
・いい悪いとは人間が勝手にしているもので、それは思い込みに過ぎない

ということです。



私の場合、自分自身に「悪い」という判断をしていることが多く、その結果、自己否定をして自分を好きになれずにいたんですね。いつの間にか、自分のことを否定的に捉えることが当たり前になっていた。でも、それは自分の勝手な判断・思い込みに過ぎないけど、そういう思い込みが癖づいていたんですね。


そのことに気づいてからは、「こんな自分も悪くないかも」「むしろこんな自分素敵かも」と自分の見方を変えてあげると、これまであった否定的な気持ちがなくなったんですね。それだけでそんなすぐに変わるの?と思われるかもしれませんが、言葉って不思議です。自分がしっくりくる言葉に出会えると見方や考え方を変えることができるみたいです。それから、自分自身に対する言葉かけは、否定的な言葉から寄り添いの言葉に変わりつつあるのでいい感じです。



じゃあ、その次に何を感じたか

と言うと、対相手です。人と会話をする時、自分の発言に対して判断をしている自分がいることに気づいたんですね。相手がどう判断するかを考えて、自分の発言を選んでいる自分がいるなあと。要するに、相手にどう思われるかを前提にしているということです。相手がどう思うかは、相手が感じて決めることなのに、自分で勝手にこの人だったらこう思うだろうなとかって判断しちゃってるんです。相手の気持ちを考えて言葉を選ぶことは、思いやりであり人間関係の上でとても大事なことだと思います。それはたしかにそうなんですけど、私の場合、それが必要ない場面でそうしていることで、自分を縛ってしまっていることに気づきました。


必要ない場面というのは、自分のことについて相手に伝える場面です。自分はこれが好き、こういうことに興味がある、こういうことを考えている、最近はこう思っている、と自分のことに伝える時に、それに対して相手がどう思うかを考えることは必要なんだろうか?そう考えてしまう自分の気持ちもわかります。その根底には、「変な人だと思われたくない」「相手にいいように思われたい」と言った好かれたい・嫌われたくないという気持ちがあるからだと思います。


だから、自分のことを相手に伝える時、一旦、相手目線での「いい悪い」の判断を介して、「いい」と判断したものを話しているなと感じます。そうなるとやはりそこには自己否定が生まれるんですね。自分との対話から生まれる自己否定から抜け出した次は、相手との会話を介しての自己否定があるってことに気づきました。相手と会話をする中で、相手の判断を先に自分がしてしまう。判断とは思い込みでしかないのに。



相手を介して自己否定をするのをやめたい

それもやっぱり自分自身へ日頃の言葉かけが大事なのかも。自分の好きなこと、興味があることを「自分らしさ」と言うのだと思います。その自分らしさを勝手に「いい悪い」を判断して縛り付けているのは自分自身です。その思い込みと判断をしなくなれば、自分自身を解放してより自分らしく過ごせるんじゃないかと思います。



自分自身との対話でも
相手との対話でも、
いい悪いを判断しない。
相手がどう感じるかは相手に任せる。



どんな時も、
「こんな自分も悪くない」
「むしろこんな自分も素敵かも」
という言葉掛けを自分に😁

最後まで読んでいただきありがとうございます!いつか書くを仕事にできたらいいなと思っています。応援いただけるとすごく嬉しいです✌️