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人にやさしくしたいなら

人はそれぞれ見えてる世界が違う。
人にはそれぞれの正義がある。


誰かにとっては正しいことも、 
誰かにとっては正しくないこともある。


年を重ねたり、長い間同じ環境にいると、決めつけや思い込みが強くなる気がする。

そんなふうに思うことがあったので、今日のnoteに書いておこうと思います。




・・・

会社での話。


とある社員のミスで、下請けの会社にご迷惑をおかけした。先日、その下請け会社の方とお話することがあった。

その時に、ご迷惑をおかけした一件の話になった。その人曰く、ミスをした社員が休日に一人で謝りに来たと言っていた。上司は同行せず若手社員一人で謝りに行かせたことを咎めていた。


その話を聞いて、たしかにその通りだなと思った。その社員が起こしたミスだとしても、上司も一緒に同行するのが、上司の勤めではないのかと思った。それも休日に一人で行かせるなんて。



・・・

先日、ミスをして謝りに行った社員と話す機会があったので、その件について聞いてみた。


たしかに一人で謝りに行ったけど、行ったのは休日ではなかった。私の勤める会社はカレンダー通りの休みではない。土日も仕事がある。謝りに行ったのが日曜日だったので、休日だと思ったのだろう、という話になった。

さらに、話を聞いていると、その社員と上司で、ミスをした部分を直しに行ったと言っていた。それも休日に、2日かけて。



事実は、わからないものだなと思った。
なにも知らないのに、勝手な憶測や思い込み・決めつけで、誰かのことを悪く思うのは、よくないなと思った。


憶測や思いこみや決めつけが多いと、世界はどんどん冷たくなってしまう。



そうかもしれないし、
そうじゃないかもしれない。


そのくらいの心もちで捉えると、世界はもっとやさしくなるのではないかと思う。

事実は同じでも、人によって見え方も捉え方も違う。同じ景色を見たときに、この人から見えるのは青い景色でも、この人には赤く見える景色かもしれない。

それくらい、人それぞれ見えてる景色は違う。見ている景色は同じでも、立っている場所がそもそも全然違うのだから、そりゃ違う景色に見える。


今回で言うと、
下請けの会社の方から見える景色
ミスをしてしまった社員から見える景色
その社員の上司から見える景色
があった。


「この人がこう言っていたから」と、それだけが事実かのように語るのは良くないなと思った。

たとえそれが事実だとしても、そこには見えない理由や背景がある可能性があるからだ。人から嫌われるために生きている人なんていないと思うから。


そうかもしれないし、
そうじゃないかもしれない。


その事実に至るまでの理由や背景を想像することを「思いやり」と言うのかな。

そんな思いやりがある世界は、きっとやさしい世界なんだと思う。



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なぎっこ
最後まで読んでいただきありがとうございます!いつか書くを仕事にできたらいいなと思っています。応援いただけるとすごく嬉しいです✌️

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