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止まない雨


「で、どこから来たの」

何も言わずに彼女は、毛布にくるまって座りながら手元にあるココアを飲んだ。
寒そうにしていたから、私が出したホットココア。

「…まぁ別に言わなくてもいいけど」

台所の換気扇の下、私は煙草に火をつける。
ライターがカチッと鳴ると、彼女は1度身をビクつかせた。

「…」

私は換気扇に向かって煙を吐く。
彼女は黙ってココアのマグカップを両手で包んだ。

「それ、飲んだら帰りなよ」

彼女は窓の外を見やる。
外には大粒の雨。

「…何者なんだい、あんたは」

彼女はもう一度、両手で強くマグカップを包み込んだ。

なぜ何も言わないのか、全く分からなかったが
別に私は何とも思わなかった。

大方、虐待か何かで家を飛出した子だろう。

掛けた毛布にくるまる彼女の腕に
煙草を押し付けられたような跡があったのが見えた。

私は、それを知っていて煙草を吸う。

「…」

秒針が時を刻む音が響く。

彼女は外で雨に打たれ座っていた。
白い大きなTシャツ1枚をワンピースのように被り
下着も何も着けず、絶望的な目をして座っていたのだ。

状況を理解しようとも思わない。
助けよう、とも思っていない。

ただその彼女の絶望的な目が、私にココアを出させた。それだけ。

「…」

1口飲んだあと、彼女は一向にココアに口を付けようとしない。

「美味しくなかった?」

少し嘲笑気味に煙と共に吐き捨てた言葉。
彼女はそれを聞いて慌てて首を振る。

「勿体なくて」

初めて発した言葉はとてもか細い消えそうな声。

換気扇の音が大きくなる。

「別にそんなのいくらでも作るよ」
「…」

また彼女は黙る。
だから私も何も聞かない。

外から車の通る音がして、彼女はココアをテーブルに置き、布団を顔まで深く被った。

「誰かに追われてんの?
中なんて、バレるわけないから」

煙草を持って、私は彼女にゆっくりと近づく。

彼女は毛布にくるまったまま出てこない。

「何があったの、話してみてよ」

彼女は震えていて、
私は毛布ごと抱きしめた。

「…」

灰が落ちる。

「黙ってたらわからないよ」

私が抱きしめる力を緩めると、彼女はゆっくりと顔を出した。

「煙草、吸ってみる?」

目の前に煙草を出すと、彼女はとても恐ろしいものを見た顔をした。
想定内。それは、押し付けられたものが目の前に来たら怖いはずだから。
でも、

「いつまでも怖がってちゃダメだよ。何があったかは知らないけど、怖いものを克服する勇気を持たなきゃ」

彼女は私の顔を見てゆっくりと腕を出す。

色白で細い、美しい腕。
そこにある無数の、火傷痕。

到底煙草なんて吸える年齢じゃない彼女の指に、私が吸っていた煙草が挟まる。

口に運ぼうとして、止めた。

その腕を、何だかとても見つめたくなって。
見ていたくなって、
憎くなった。

彼女の指から煙草を奪い、彼女の腕を引き、その美しい腕に押し付けた。

「……!!!」

声にならない叫び声を上げて、
彼女は布団を捨てて立ち上がる。

「…いつ着替えたの?」

彼女は、外で座っていたずぶ濡れのTシャツではなく
大きい灰色のTシャツを着ていて。
首元が大きく開いたシャツだったので、下着の紐が見えた。

この子はいつの間に、下着まで着たんだろう。

この子の美しい腕が、憎い

この子は、なんでこんなに震えているの?

この子の美しい肌が憎い

この子は、何者なの?

「…?」

私は手に残る彼女の腕の冷たさと、指の煙草を2度、ゆっくり見る。

「……」

誰かわからないこの子が、憎い。

あの人に愛された美しい腕が憎い
美しい肌が憎い

あの人って誰?

ただ、その美しさが、憎い





「…」








「……ごめんなさい、お母さん」

降りしきる雨と
強くなった換気扇の音

消えそうな小さな声をかき消すには十分で

私は彼女が誰かわからないまま

でも震えるその体が可哀想でまた毛布をかけた。

彼女は泣いて、体を隠す。

「可哀想に。余程酷い目に合わされたんだね」

私は煙草の火を消しに台所へ戻る。

流し台には3つのマグカップ。

「ココアでも飲む?温かいやつ」

彼女は静かに、泣きながら頷いた。

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