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手塚治虫が見つめた人種主義からの解放という未来
鉄腕アトム187話「ベーリーの冒険」
手塚治虫が見つめた人種主義からの解放という未来
1966年11月5日放映の鉄腕アトム第187話の「ベーリーの冒険」は間違いなくアニメ版鉄腕アトムのエピソードのなかでも傑作のひとつであり、手塚治虫の思想の一端がうかがえる作品である。
ロボット歴史博物館を訪れたアトムは、ロボット本体の展示のないショーケースに気を取られる。そこには名札だけがあり「ベーリー」という名が刻まれてあった。
アトムはこの名前をどこかで記憶しているが、記録を呼び出すことができない。
それはかつて、アトムが天馬博士によって売り飛ばされたロボットサーカスでの繋がりであったことにたどり着く。
ロボットサーカスで団長のハムエッグから酷使されていたアトムを庇って助けてくれたのが、ロボット、ベーリーだった。
ベーリーは廃品ロボットのスクラップからハムエッグによって再生され、サーカスで働いていたのである。
アトムは非番の日に街に遊びに行く。
しかし、訪れる映画館も遊園地も人間しか入ることが許されない。
ロボット禁制の区域が多く、アトムはヤケになって遊園地を破壊して暴れ回ってしまう。
その直後、街で起こったビル火災で逃げ遅れた子どもを救助したアトムだったが、ロボットが人を助けることなど当たり前であるから、誰からも感謝されることなく、アトムは失意のままその場を去る。
ロボットサーカスのハムエッグ団長のあまりにも過酷なロボットの使役に、ベーリーはロボットの解放を要求するに至るが、ハムエッグは認めるはずもない。
アトムはベーリーの要求を聞かなければ、自分もサーカスを出てゆくと言い、サーカスのロボット剣闘の花形スターのアトムを手放すことが損失になると考えたハムエッグは、ベーリーにサーカス団のロボットの解放に条件をつける。
1000度の溶鉱炉をくぐり抜けること、10トンの錨を体に結びつけて海に沈んで自力で浮かび上がること、百科事典に使われているAの文字がいくつ出てくるかを一夜で数えること。
この要求は、性能が良くない旧式ロボットのベーリーには不可能なことであったが、仲間の解放のためベーリーはこの3つに挑戦する決心をする。
危ないところをアトムとお茶の水博士に助けられ、ベーリーは出来るはずがないと百も承知で突きつけられたハムエッグの3つの要求を果たす。
解放されたロボットを集めて、ベーリーはロボットだけで、ロボットサーカス団を結成してロボットの自活の道を開く。
ところが、役所はロボットが事業主で、事業を行うことは法的に禁じられていると言い、その理由はロボットには市民権がないからだという。
ベーリーは役人に市民権を要求し、自分が世界初の市民権を持ったロボットになると、後に続くものが出るだろうという。
役人から迫害を受けるからやめろと、制止されるのも聞かずベーリーは市民権を要求し、書類にサインをする。
これを知ったロボット人権反対派が役所前に押しかけ、市民となったベーリーを取り囲み殴打して無惨にもバラバラに破壊してしまう。
時すぎて、ある日、
火山が爆発し、街に溶岩が襲う。
アトムは懸命の救助活動を行なって、火山の溶岩をせき止めて街を救う。
命を救われた人びとはアトムに口ぐちにお礼を言うが、ロボット人権反対派の男が叫ぶ。
「ロボットじゃないか!ロボットが人間を助けるのは当たり前だ、感謝するには及ばねえ、ガラクタ人形のくせにでしゃばりやがって!とっととうせろ!お前の仕事は済んだ!」
それを聞いていた若者が叫ぶ。
「とっとうせるのは、お前の方じゃないのか!恩知らずめ!ロボットも人間と同じなんだ!」
これを聞いたアトムに救助された市民たちは若者に加勢して、男にアトムへ謝罪するように求める。
反対派の男はアトムに力なく「ありがとうよ」とひと言残して去ってゆくのだった。
「ロボットのおじさん、聞いてください。今の言葉を……」
アトムはかつて、自分を助けてくれたロボットのおじさんがベーリーであったことを知る。
1999年、初の市民権をとって暴徒に破壊されたベーリーの1万点に及ぶ部品は世界中の一万体のロボットの部品として再利用されており、その一つはアトムの体にも埋め込まれてあるのだとお茶の水博士から聞かされたアトムはベーリーを懐かしく思い出すのだった。
この作品はアニメのオリジナルストーリーとして作られたものだったが、2年後の1968年に連載された「アトム今昔物語」で、手塚治虫の手によって漫画化され、ロボット史上最も有名な事件「ベーリーの惨劇」として登場する。
1968年はキング牧師が暗殺された年で、その数ヶ月後の「ベーリーの惨劇」の漫画化は偶然の産物ではないだろう。
手塚はキング牧師の最期から、2年前のアニメ原案「ベーリーの冒険」を思い出したのかもしれない。
これは手塚がアトムのアニメを制作している時代に、公民権運動を意識して、それをロボット社会になぞらえたことは間違いがない。
黒人の解放という60年代の動きを33年後の未来の物語に託したのである。
モノクロ版のアトムのアニメ作品は、やや、 手塚の作風としては楽観すぎる部分がある。
より手塚のペシミスティックな社会に対する訴えやヒューマニズは1980年版のカラー作品の『鉄腕アトム』で本領発揮される。
「ベーリーの冒険」は25分という尺の中にギリギリ押し込められてあるので、少々楽観的で舌足らずな印象も否めない。
ベーリーのロボット市民権運動は2年後の漫画では、もう少し複雑に描かれているし、ベーリーの行動を支援しているのは公民権運動で自由を勝ち取った黒人の実業家という設定になっていた。人権派のお茶の水博士もそれに加担している。
原案のアニメ版ではそこまでは描きこまれてないものにしても、単なる労働機械としてのロボットの権利と人間の共生の問題、アパルトヘイト的なロボット禁制社会といった、子ども向けのテレビ漫画では考えられないような深いテーマが盛り込まれている。
ただ、ロボットが同じ人として人間に認められるのは、ロボットが人間の命を救い、懸命の努力によってそれを認めさせなければならないというセオリーに基づいていることが惜しむられるところである。
それもまたロボットの悲劇であるという視点がないことが、どこか、人種主義に対する見方に疑問を感じさせる部分でもある。
この姿勢は手塚の中でその後も消えることがなく、カラー版の『鉄腕アトム』の第42話「進め!ガラクタ三銃士」で、廃棄処分を逃れてスクラップ工場から逃げてきた3人の労働ロボットの物語も同じコンセプトに基づいていた。
逆に考えるならば、アトムがロボット差別に怒り、遊園地を散々破壊するという暴力の否定と、暴力による抵抗を描かないという視点を選択した結果だったのかもしれない。
ロボットを文学で初めて登場させたのはチェコスロバキアの作家、カレル・チャペックであり、その作品『RUR』に登場する造語ロボットは、チャペックの兄、ヨーゼフが発案したチェコ語の労働を意味する言葉であった。
ロボットが生まれて、手塚の『鉄腕アトム』で解放された労働という名のロボット。
いくつかの問題を抱えているにもしても、手塚治虫が1966年に送り出したメッセージとしての忘れられがちな第187話「ベーリーの冒険」は未だ人種主義を克服し得ない日本人と全世界が考えねばならない到達に至らない未来なのである。
★なお、「ベーリーの冒険」は現在、Amazonのprimeビデオで視聴可能なようなので、興味のある方はぜひ、ご覧いただきたい。
Amazonでは187話でなく、185話で登録されているのでご注意。
これはDVDでは幻の二作を含めての勘定であり、primeではこの2本が抜かれているためではないかと思う。