ルネ・クレマン、『鉄路の闘い』は『太陽がいっぱい』となにが違うか?
戦争映画のはなし: ルネ・クレマン、『鉄路の闘い』は『太陽がいっぱい』となにが違うか?
ルネ・クレマンの映画といえば『太陽がいっぱい』が思い出される。
『太陽がいっぱい』は傑作である。しかし、その原点は『鉄路の闘い』だ。この二つの映画は形こそ違えど抵抗の映画なのだから。
『太陽がいっぱい』の主人公、リプリーも『鉄路の闘い』におけるレジスタンスたちも、自らを解放するために、抵抗を連続的に進めてゆく。
リプリーは不平等な社会システムに対して、レジスタンスたちは圧政者ナチスドイツに対して。
しかし、この両作品にはその抵抗の根本的な違いがあり、クレマンはそれを映像で見せることになる。
わたしはルネ・クレマンの作品で一本選べと言われれば、わたしは何の迷いもなく『鉄路の闘い』を挙げる。
アンジェイ・ワイダの『地下水道』も捨てがたいし、ロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』も忘れられない。しかし数多く存在するレジスタンス映画の中でも僕はこの作品がかなり上位の傑作だと考えている。
鉄道と戦争の関係は切っても切り離せない。
戦争では、攻略した占領地への軍事物資の物資補給には欠かせない。完全に占領し、その国を統治した場合、征服者は、インフラ整備のために鉄道を敷設しようと試みる。
すでに鉄道が完 備されている国を占領したなら、その機構を征服者は利用する。
管理者は変わっても鉄道を運営するのは征服された国の人びとだ。蜘蛛の巣の様に広がる鉄道網の完備が、占領国にとっての獲得した領土を確実なものとする。
1871年のドイツ統一も鉄道網の急速な発展によってもたらされたし、日本のアジア太平洋戦争も元はといえば、満州における鉄道の利権の問題があり、張作霖爆殺事件、柳条湖事件、そのいずれもが鉄道が関係している。征服者にとって20世紀初頭の戦争では、鉄道が大きな鍵を 握っていたことは確かだ。
戦争を遂行する側にとって鉄道が重要であるのと同時に、それに抵抗する側にとっても同じである。
管理者が征服者であっても、鉄道を動かすものは占領国の国民であることが多いということもあって、鉄道と鉄道そのものがレジスタンス運動という「戦争」の武器になる。
1945年のルネ・クレマン監督による初の長編映画『鉄路の闘い』は、フランスの鉄道レジスタンスの活動を描いた作品だ。
実際に闘ったフランスの国鉄抵抗委員会のメ ンバーを俳優として起用し、実際に行われた活動を再現した記録映画的劇映画である。しかも終戦と同時に製作され1946年2月に公開された。
出演者は、ほぼ全員が素人だがルネ・クレマンは素人の国鉄レジスタンスから並の映画俳優以上の演技を引き出して延々と、淡々と、その活動と表情を捉えた。
1944 年、連合軍のノルマンディー上陸によってドイツ軍は鉄道で最前線となったフランス北部へ軍事物資を輸送しようとするのだが、フランス国鉄レジシタンスたちが、これを妨害してゆくという物語。
「アプフェルケルン」(Apfelkernはドイツ語で「リンゴの種を意味する)と呼ばれる戦闘車両輸送作戦を知った鉄道レジスタンス「国鉄抵抗委員会」のメンバーたちは、組織的にこれを徹底的に 妨害する抵抗活動を開始する。
集中管理室で妨害工作を行う者、機関車を破壊する者、線路を破壊する者、無人列車を走らせる者、自ら銃や爆薬を持って装甲列車と戦う者。様々な方法でドイツ軍側が疲れ果ててしまうほどに妨害を繰り返す。
主人公らしき人物はなく、この映画では、集団群像劇として描く。このレジスタンスという集団が主人公なのだ。
そして抵抗の絶え間無い継続、これがこの映画のリズムだった。
ルネ・クレマンは後に仏英独のスターを散りばめたレジスタンス映画『パリは燃え ているか』(1966年)を撮った。この作品も集団群像劇だった。しかし、いかにも劇映画的だった『パリは燃えているか』に対して『鉄路の闘い』は全く異色だ。『パリは燃えているか』で音楽を担当したモールス・ジャールは「レジスタンス活動とは絶え間なき継続である」と語り、ショスタコーヴィッチの「第七交響曲・レニングラード」を思わせる延々と同じ旋律が繰り返される劇伴音楽を付した。
『鉄路の闘い』はまさにその抵抗継続のリズムが映像で貫かれている。
抵抗活動以外にありがちなドラマらしいドラマも全くない。個人的な人間間の愛情関係であるとか、あるいは戦争における葛藤であるとか、そうしたものの存在はここでは‘許されてはいない。絶え間の無い抵抗が、この映画のドラマそのものなのである。
破壊活動のためにドイツ軍に逮 捕された6人のレジスタンスが壁に向かわされて銃殺される。一人の男の表情をカメラは捉え続ける、男の視界に入る壁を這う蜘蛛、機関車のギイギイと軋む音、機関車の煙、銃殺のドイツ語の号令、銃声、倒れてゆく同志、銃殺に抗議する機関車たちの汽笛の音……カットバックと効果音が、死に向かわされた名も無 き一人の男を焦点にして恐ろしい緊迫感を描き出す。
ここで気づかされるのは、はやり、個としての戦争ではなく、集団としての戦争である。個を大切にするなら、ここで射殺されたレジスタンスの家族との関係であるとか、仲間との関係であるとかを描きこむことになるだろう。
しかし、スクリーンに映し出される彼らにはそのような人間的な側面は見えてはこない。
サボタージュで停止してしまったアプフェルケルンの車両。護衛のドイツ兵たちは軍服をだらしなく脱ぎ捨てたりして、暇を持て余し日向ぼっこをしたり、昼寝をし、つかの間の食事を楽しむ。ドイツ兵が弾くアコーディオンのドイツ民謡のメロディー。戦争とは無縁の牧歌的風景。
圧制者としてのドイツ軍を表象するのは劇伴音楽。重いホルンの演奏でナチスの闘争歌であり党歌だった『ホルスト・ヴェッセルの歌』の旋律。
ホルスト・ヴェッセルのメロディーは今でこそ誰も気づかないだろうが当時のフランス人や占領下にあった人々には忌まわしい音楽だったに違いない。
線路が修復し、武装レジスタンスを撃退したドイツ軍はアプフェルケルンを発進させる。
しかし、再びレジスタンス闘士の不屈の破壊活動で列車は転覆させられ、戦車を満載した11両の車両は崖から次々に転落する。
アコーディオンが無意味な、叫にも似た音を発しながら崖から転げ落ち、やがて音は消えて絶命する。
ドイツ兵たちの死を暗示したシーンだが妙に哀れを感じさせるシーンだ。
ルネ・クレマンは圧制者とそれに圧迫されている人びとを区別している。アコーディオンを弾いいていたドイツ兵に、クレマンの敵兵への憎悪は感じられない。しかし、ドイツ兵たちは戦争を担う武器としての要素としても描こうともしない。
対するフランス人のレジスタンスたちは、私情も差し挟む余地すらなく、まっすぐ直線的に、抵抗の武器になる。
この二つの「武器」の差異はこの映画のナチスドイツとレジスタンスの戦いの温度差ともなって、レジスタンス全体を鉄道という武器でまとめ上げるのだ。
つまり、これは人間同士のヒューマニティな戦いなのではない。
ナチスというシステムと、フランスのレジスタンスというシステムの戦いであるのだ。
戦争というものは考えるに、色の違ったシステム同士の戦いとなる。民族であるとか、宗教であるとか、人種であるとか、イデオロギーであるとか。
双方が互いに違っているということを基礎とした、それぞれのシステムに組み入れるか、組み入れられるかの戦いとなる。
それを暴力によって達成しようとすることが戦争であり、武力闘争ということになる。
わたしたちは『太陽がいっぱい』のアラン・ドロン演じるリプリーを何故か憎めない。それは『鉄路の闘い』におけるドイツ兵のアコーディコンの末路を思わせる悲哀と同じものを、その抵抗のなかに見出せるからだ。
戦争映画における、個人と、帰属するシステムや対抗するシステムとの距離の関係は、抵抗や戦いというという意味合いを大きく変えることになる。
例えば、プロパガンダ戦争映画というものが、より愛国的に映るのは、主人公が帰属する国家や民族との距離が極めて近いものであり、いや、ほぼ密接しているからである。
対して、主人公が私情や個人的な世界により近い立場を取れば取るほどに、愛国という視点は薄らいでゆくのだ。
ルネ・クレマンの作品でも、『太陽がいっぱい』の抵抗は極めて私情に起因する個人のものであり、対する『鉄路の闘い』はその真逆になる。『パリは燃えているか』はそのどちらの要素も持った作品であるから、中間的な存在となったのだ。
『パリは燃えているか』では、ドイツ軍パリ防衛司令官フォン・コルティッツ将軍(ゲルト・ フレーベ)にも個への接近する部分が見られる。
連合軍に連行される彼の荷物のトランクがパリ民衆に奪われて無茶苦茶にされるシーンにも哀れを感じさせる。(フォン・コルッツ将軍はヒトラーのパリ全市破壊命令の圧力に反して命令を無視して連合軍に投降した。)
『太陽がいっぱい』のリプリーは格差社会のなかにある階級の不平等のなかで、犯罪という方法で社会システムに抵抗してゆくわけだ。
それは極めて私情と個人的な世界に基づく抵抗である。
この後年の二作品に比べて、『鉄路の闘い』は全く違っている。
レジスタンスの戦いは常にフランスという国家とともにあり、そこから私情で離れることはいささかもない。
この映画に登場する鉄路や鉄道車両がすでに武器であり、登場人物のレジスタンスが武器であり、この映画自体が武器、兵器であるのだ。
抵抗者が一つの群衆として武器となる。
個が集団となって武器となる様子は、個々の部品が組み立てられ、最後に弾丸を発射するナガン小銃となるショットで示した、エイゼンシュテインの『十月』で、直接、試みられている。そのプロパガンダ劇映画の基本的な構造のままに『鉄路の闘い』は成立している。
自由と解放を目指す、ファシズム打倒という闘争の表象は、そのファシズムの映画語法と同じ構造にたよならなければならない。
『鉄路の闘い』と『太陽がいっぱい』の間にあって、なかったものは、何かと問えば、それはシステムへの抵抗のなかに存在する個人という存在だったのである。
ルネ・クレマンの『鉄路の闘い』に触れるとき、戦時とその直後の戦争映画、戦後の戦争映画の方法論との違いに気づかされる。
単に戦時という状況が、かように過酷であったということだけではない。
ファシズムであろうとデモクラシーであろうが、そういう方法でしか映画の戦い方は他になかったということである。
その点においては『鉄路の闘い』は第二次世界大戦における映画戦争の最後まで戦った映画なのである。