中島知久平の「必勝戦策」の内容を出すことにしました。
どうも。中島飛行機で隼や疾風を開発した小山悌さんを主題に置いた本を出した長島です。
今現在は中島知久平を主役にした本と、デビスカップで活躍した大正時代のテニス選手、清水善造と熊谷一弥の本も完成しています。それらを出すためにジタバタしている最中です。
で、やっぱり出版につながるようなジタバタをしたいので、「中島飛行機のクライマックスである、『必勝戦策』を表に出そう」と思いました。ヘッダーの画像がそうです。
拙著の「銀翼のアルチザン」を読んでくださった人には説明不要ですね。中島飛行機を知っている人にも説明不要ですね。
何も知らない人に説明しますと「第二次世界大戦で、日本は巨大飛行機を開発してアメリカ本土に爆撃し、対等な平和交渉をするための計画書です」な内容です。
巨大飛行機の名は「富嶽」で、詳しくはウィキで。
ちなみに、富嶽のラジコン模型を作っているグループが太田にあります。
で、「必勝戦策」及び、富嶽に関する話は既存の本に紹介されています。
だがしかし、原本を丸々引用をしておらず(おそらく誌面の関係上)、後世に発掘された史料や、私の「中島飛行機取材」で知った知識といくつか開きがありました。
そこで、思い切って「『必勝戦策』片手に、長島流富嶽解説」をしてみようと思います。
著作権法を誤読していなければ、「著作者の死後70年すればフリーになる」です。丸々紹介しても法に触れません。Youtubeにちら見せした動画を上げました。
ちなみに「引用」するさいは、四分の一だそうです。仮に何かの本の中身をすべて紹介したい時は、「100ページの作品なら、300ページの追加内容が必要。それ以下では引用とは言えない(使用料が発生する可能性がある)」です。
もしも何かの偉人の著作が手元にあり、死後70年以内でしたら4分の1を意識しましょう。とくに金銭が発生する商業利用の場合は。学術論文でも孫の代までは権利があるので「挨拶」ぐらいはした方がいいです。
零戦関連の講演で「パイロットの私信を、著作に紹介したい」ということで、その子孫を探すのに四苦八苦したエピソードを聞いたことがあります。
とにかく著作権法を何度も確認しながら知久平さんの「必勝戦策」を紹介したいと思います。
まずはその「挨拶」ということで、本文を終わらせたいと思います。旧仮名遣いで誤読が起きるかもしれないので、本の写真をアップしながら解説する予定です。