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中島知久平の「必勝戦策」。44ページの中間まで

 写真をいつものようにアップします。

 故に航空戦術の要訣は、飛行機の完全線爆破にあるのであって、空中に於て個々の飛行機撃破する如きは、寧ろ末梢的戦術に属すべきものであると思うのであります。

 茲に、航空戦策に対する一大転換の必要があるのであります。

 所で、飛行場完全爆破と云うことは、今日迄の実戦の経験を徴し、云うべくして不可能であるとの議論があるのであります。

 それは、現在の如くき漸く一トン位しか爆弾積載力のない小型爆撃機を以てしては、飛行場を完全爆破出来ないことが、理論上、当然である。

 今仮に、百万坪の飛行場爆破を考えて見ますと、一トン爆弾の破壊威力は地盤に依って異なりますが、普通地盤であれば、深度15メートル、直径50メートルと謂われて居りますから、百万坪の飛行場を完全爆破するために、1600個の一トン爆弾を、50メートル間隔に満遍なくばらまかなければならない。

 従って、現有双発爆撃機を以て之を行うには、1600機が50メートル間隔の密集編隊を以て、敵飛行場上空に至り、一斉投弾をしなければ出来ない。

 実際に於て、敵の防空砲火を冒し、敵戦闘機の攻撃を押し切り、斯かる多数の大密集編隊を整然と敵飛行場上空に至らしむることそれ自体が困難である、仮に行けたとしても、斯かる多数の飛行機が一斉投弾を行うことは技術的に不可能に属するのであります。

 従って、今日迄に実戦に於ける飛行場爆撃は、50機乃至100機以内の編隊を以て、百トン以内の小量爆弾を、バラバラに投下して来たのであって、実際は、飛行場一部の爆破に終わって居るに過ぎないのであります。

 とりあえずここまで。

 最前線で飛行機同士を戦わせるのではなく、「飛行場そのものを破壊して敵の飛行機を無力化させる」と案を出す知久平さんですが、実際にそれが可能なのかの検討の話をします。

 では、いつものように意訳短縮砕け表現をします。

「航空戦の要は飛行機の生命線を破壊するものであって、空中戦は枝葉な戦術です。

 だから航空戦策を一大転換する必要があります。

 ところで、飛行場完全爆破はこんにちまでの実戦を集めると不可能という議論があります。

 それは、現在はようやく一トンの爆弾積載力のない小型飛行機では飛行場の完全爆破は理論上出来ないのが当然です。

 仮に百万坪の飛行場爆破を考えますと、一トン爆弾の破壊力は地盤によって異なりますが、普通でしたら深度15メートル、直径50メートルといわれていますから、百万坪の飛行場の完全爆破するためには1600個の一トン爆弾を50メートル間隔に満遍なくばらまかなければなりません。

 したがって今の双発機でこれを行うには1600機が密集編隊で敵飛行場に向かい一斉に落とさなければ出来ない。

 実際に敵の防空法をくぐり抜け、敵戦闘機を押し切って多数の大密集編隊が整然と敵飛行場に向かうのは困難ですし、仮に行けても多数の飛行機が一斉投弾は技術的に不可能です。

 こんにちまでに実戦で飛行場爆撃は50機から100機以内の編隊で百トン以内の小量爆弾をバラバラに投下したのであって、実際は飛行場の一部を爆破したに過ぎないです」

 あたりでしょうか。

「敵の飛行場爆破は名案ですが、実際にそれをやろうとすると無理があります。具体的に説明しますとーー。仮に敵の反撃をくぐり抜けても1600機が一斉に攻撃するのは無理です。実際に飛行場攻撃は行われていますが、50機から100機程度で、爆弾の量も少ないので一部破壊にしか過ぎません(すぐに修復されてしまう)」

 でしょうか。知久平さんの話は続きます。

 はい。今日の旧仮名遣いのお勉強です。

漸く←ようやく 「ざんく?」と最初は読んでいた

徴し←ちょうし 「今までの戦果をかき集めれば」というニュアンスかな?

斯かる←かかる

乃至←ないし  今なら「あるいは」が近いかな?


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