中島知久平の「必勝戦策」。第二圖昭和十九年航空攻防戦状況
前回、「第一圖」を出した時に、地図に「航空航防」と書かれていたので、「当時の航空用語や軍事用語だったのかな?」と思っていたら、どうやら「攻防」の誤字だった模様です。
はい。第二図は「航空攻防」と書かれています。知久平さんの焦りが窺い知れます。誤字脱字には修正の紙が貼ってありますので。
では上記の「第二図」を頭に叩き込んで本文を読んでみましょう。
次は昭和十九年の航空攻防情勢でありますが第二図に示す如くであります。
日本の防衛権及び敵の航空母艦機の攻撃圏は十八年と変わりません、然し本年は、空の要塞はボーイングB-29型が遣って来ますから昨年とは全然形相を異にするのであります、B-29型は2000馬力4発総馬力8000馬力、航続距離は8000キロメートル乃至9000キロメートル、速力は550キロメートル、爆弾積載量は2噸と推定されます、従って、攻撃半径は大体4000キロメートルに達するものと思われます、そこで、4000キロメートルを半径とした攻撃圏を画きますと、アリューション、ミッドウェー、支那大陸から日本本土を爆撃し得るのであります、従って、漫然現状の儘で行きますと、19年には相当の危険が予想されます。然し、今から大に準備して大鳥島から歩度を延ばして、ミッドウェーを常に叩き、その基地を使用不能ならしめ、又支那に於ける敵の重要基地を占領し、我が基地を前進せしめ敵の基地を使用不能ならしむるの策を採れば、B-29型の攻撃は阻止できると思います。
然し乍ら、アリューシャンやミッドウェイ、から発して日本を通過し、支那奥地又は印度の基地に着陸するのに挙に出ずる時は、相当の被害を覚悟しなければなりません、只爆弾積載量が少ないから、我が国防を根底を動かす迄には至らないと思われるのであります。
では今回も意訳短縮を試みたいと思います。
「次は昭和19年の航空攻防情勢を第二図で示しました。
日本の防衛圏や艦載機の攻撃距離は変わりません。しかしB-29がやってきますと事情が変わります。B−29の性能なら、アリューシャン、ミッドウェイ、支那大陸から本土攻撃ができます。現状のままだと19年は相当に危険が予想されます。
しかし今から大いに準備して大鳥島から
(※こんな小さな島まで占領して驚き!)
歩みを延ばして、ミッドウェーを常に攻撃し、その基地を使用不能にし、また支那の敵の重要基地を占領し、我が基地を前進して敵の基地を使用不能にする策を採ればB-29の攻撃は阻止できると思います。
しなしながらアリューシャンやミッドウェイから発進して日本上空を通過し、支那やインド奥地に着陸する作戦に出たら相当の被害を覚悟しなければなりません。ただ、爆弾積載量が少ないから(長距離航空になるから)、国防の根底を揺るがすほどではないと思います」
あたりでしょうかね?
まだ話は続きますが、この時点、昭和19年でも「B-29による大空襲は起きない」と、警告の次は安堵の言葉を持って説明を続けます。
昭和19年にB-29から「東京初空襲」の戦略爆撃を食らいますが、11月24日です。年末が近い時期です。
おそらく日本史の第二次世界大戦におけるダイジェストでは、これが初空襲な気がします。
ドーリットル空襲は影が薄い。
「ペリーの黒船」以前からオランダ以外の外国商船が交渉してきて、略奪を食らいましたが、「地方だし規模が小さい」から、日本史のダイジェストから外れるように。
とにかく知久平さんは「B−29は戦略を変えればその威力を抑えることが出来ますが、B-36が運用されたら日本の防衛線は更に広がってしまい、軍需品が足りなくなって穴だらけになる」と説明したいのでしょう。
知久平さんの「タラレバ」は続きます。次回は「第三圖」です。
はい。今日の旧仮名遣いの勉強です。
儘←まま 「そのまま」のようなニュアンス
大鳥島←ウェーク島 (必勝戦策を読むまで、この島の存在、知らんかった。気持ち的にTwitterで知ったナウル共和国レベル)
歩度←ほど、歩くスピード。この場合は「進軍スピード」という意味かな? 現代でも使うかな?