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中島知久平の「必勝戦策」。第三圖 昭和二十年航空攻防戦状況 23ページまで

 それでは「第三圖」を頭に叩き込んで必勝戦策の続きを読んでみましょう。

 次は昭和二十年でありますが、第三圖に示す如く此の年は實に容易ならざる年であります。

 前述する通り、二十年の後半期には六発爆撃機が大規模にやって来ることは避けられません、此の爆撃機は、2000馬力乃至2500馬力六発、総馬力12000馬力乃至15000馬力、航続距離は15000キロメートル、速力は550キロメートル、爆弾積載量は距離によって異なりますが、6トン乃至20トンと云う偉大なる性能を有するものであります。

 従って、攻撃半径は悠に7000キロメートルに達しますから、アメリカ本土を始め、支那、印度、豪州、ハワイ等の諸方面から一斉に日本本土を爆撃し得るのであります。

 此の年には、日本の防衛権は半径3000キロメートルに擴大せられますが、6発爆撃機に対する防衛は何等効力も予期出来ません。

 そこで、此の結果どうなるかと申しますと、此の6発爆撃機の爆撃能力は従来の飛行機とは比較にならぬ程偉大でありますから、此の大編隊が日本の製鐵工場、アルミ工場等を爆撃する場合には、徹底的に爆破せられて仕舞うことは確かであります、そうなると、日本の軍需生産は全面的に停止し、飛行機も、戦車も、艦船も作ることは出来なくなる、又次に、スマトラ、シャワを始め、其の他の精油工場も完全に爆破せられることは明瞭でありますから、飛行機も、戦車も、艦船も行動不能に陥ることは避け得られないと思うのであります。

 勿論、在庫品がありますから直ちにそうなることはありますまい、然し、在庫品は単に時間の問題であって、要するに結果は同一であります。

 斯くの如く、戦力は全面的に喪失して仕舞には大陸、其の他の占領地域に対する敵の攻撃は極めて容易となり、又日本本土に対する進撃も可能となり、

 とりあえず、ここまで。いつものように意訳短縮すると、

「昭和20年後半になると、アメリカは六発の巨大飛行機を運用します。其の飛行機は日本の防衛圏を上回り、四方から攻撃されたらなすすべがなく、飛行機、戦車、艦船が運用できません。在庫があるにせよ結果は同じです」

 でしょう。

 ミッドウェイ海戦で太平洋の制海権と制空権はアメリカが握りましたが、本土では実感がなかったのでしょう。ミッドウェイ海戦は昭和17年6月です。

 ちなみに兵士として「日本本土の守備隊」にいた人に話を聞いたことがあるのですが「ギシギシし始めたのは山本五十六が戦死した頃」でした。昭和18年4月です。

 ご存知のように、アメリカはミッドウェイ海戦以降、「日本の補給船を攻撃すればいい」と気付き、大きな開戦は避けます。日本兵の多くの戦死者は餓死者であったという、日本の補給が弱点であることに気づきます。

 戦略図を見て気づいたのか、それとも日本人を研究して気づいたのか、「日本は兵站を軽視している」と気づきます。

 6発爆撃機を開発するより、そっちの方が「コスパがいい」だったのでしょう。

 海軍は東京裁判が始まるまで失敗を秘密にしていたので(※東條英機すら、裁判で事実を知ったという)、知久平さんは、

「最前線で何が起きているか具体的に分からないがジリ貧になるのは時間の問題」

 と早々と気づいたのでしょう。

 はい。今日の旧仮名遣いの勉強です。

 今回はグーグルを使いませんでした! 一つもありませんでした。

 なれてきました。人って成長するもんですね〜。

 

 

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