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自分は自分の思ういい文章しか書けない

 何十年もネット上でブログなどを読んでいると、稀にではあるが「この人、自分と興味関心がそっくりだな」とか「感性が似てるな」と思えるような書き手に出会うことがあり、「この人は一体、どれくらい自分と似ている人物なのだろうか?」と気になってブログ内の様々な記事を読んだりすることがある。しかし、読んでいくと意外と、趣味の方向性とか、異性の好みとか、こうありたいという生き方、人生の目標みたいな、似てそうな部分が全く似ていなかったりする。それが個人的には面白いと感じる。やはり人間というものはそれだけ多様な存在なのだと分かるからだ。一部分、深く共感できるところがあったとしても、総合的に見たら、全く違う個性を持つ存在だと気付かされる。

 それは多分、文章にしても同じだ。自分がいいなと思う文章を書く人はいても、それは一部分において深く共感できるだけであって、全体として見たら、自分の理想とする文章ではなかったりする。(例えば、文体やテーマ、単語の使い方、話の進め方など。いくつかの要素が自分に刺さっても、全てが刺さる文章は滅多にない。これはプロの作家でもそう)

 結局、自分が思ういい文章は、自分で書いていくしかないのだ。別に、人に評価されなくても、スキがつかなくても、自分が思う良いものが書ければ、それでいいじゃないか、と思う。文章には正解がない。理系の分野には科学的に考えて正しいか、という正解があるし、スポーツには決められたルールの上でどれだけの結果を出せるか、という正解があるが、文章にはそれがないのだ。そこがいいところだと思う。個々人の「何を良いと感じるのか?」という個性がそこに表れるからだ。しいて言うなら「どれだけ読み手の心を動かしたか」という評価軸があることはあるが、それも読み手の感性により受け取り方が全く異なるため、絶対的ないい文章というのはどこにも存在しない。これは多分、音楽やファッションにおいても同じことが言えると思う。絶対的な正解が存在しない代わりに、個々人の感性を自由に表現することができる。

 この記事を読んでくれている人も、「今までこんな風に書いている人を見たことないけど、本当はこういうのが読みたかったんだよな」と思えるような文章を自分で一度書いてみることをおすすめしたい。それはきっと、あなただけにしか書けない価値を持つ何かのはずだ。

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