地下闘技場と憧れの存在。男雄漢比較べの地にて。
東京ドーム地下、俺が一番強い、どこまで強いのかを試す。そんな男たちが集う地下闘技場。
男なら一度は憧れるあの場所で、そんな男たちの息吹を全身で感じてきた。
バキ展@東京ドーム、ギャラリーアモ。
連載30周年を記念して行われたそれは、これまでの原画や地下闘技場の砂、培養されている右腕などのファンなら垂涎モノの展示がされ、そんな自分もあらゆる展示に喜び続けていた。
今回のバキ展の目的はいくつもあれど、最大の目的はほぼ一つ。
花山薫に会う。それだけだった。
鍛えることは女々しいこと。
素手喧嘩のみを美学とする圧倒的な強さへの自信。
握力×体重×速度=破壊力の方程式を信条とする潔さ。
身長190.5cm、体重166kg、ピンチ力推定700kg、握力推定2.8t。
他の追随を許さない恵体とトランプをつまみ引きちぎる握力。
倒れることを知らない侠客立ちと書いて「漢立ち」と読むタフネス。
書き始めるとキリがない彼についての説明はこの辺りで切り上げ、本題に入ろう。
自分が煙草を吸い始めたのには理由がある。
ラッキーストライクを吸っているのには理由がある。
答えは簡単。
花山薫が吸っているから。それだけだった。
ウイスキーが好きなのだって、元を辿れば花山薫が愛飲しているからだ。もちろん自分は瓶のフチを割り砕いてガボガボと体に流し込めるような芸当はできないけれど。
体を鍛えるのだって、花山薫に近づきたいから。
漢気を通したいと思うのだって、花山薫なら引かないから。
そんな憧れの男が、原寸大で展示されている。
行かないわけがない。
水道橋駅までを迷いつつ、列に並ぶ。並ぶ前に気つけに一服してきた。肺に花山の概念を流し込み、あの日あの人が喰らったクラつきを思い出す。
展覧会に入場しても、緊張は解けることがない。
花山薫の初登場から今に至るまでの原画だって展示されている。
あの漢がどうして今までに至ったのか。生き様を追体験し、彼が鎮座しているスペースが見えた頃にはか弱い雌のような息が漏れた。
いた。花山薫が、憧れの人が、確かにそこに座っていた。
思わず頭を下げてしまうほどの風格。無造作に置かれている灰皿にウイスキー。もちろんワイルドターキーだ。
持っていた煙草と一緒に写真を撮り、もし許されるのであれば煙草に火をつけたいとまで思ってしまった。もちろんしなかったけど。
立ち尽くすこと数分。後ろの人に急かされるまで何分経っていたのだろうか。
それからも花山の勇姿を描いた原画を眺め、物販で花山薫の概念を買い求め、自分の中で激る血が落ち着いたのはスカイツリーの展望台に上がって高さに慄く頃だった。
憧れの男は、確かに存在した。
存在するということは、それは目指せるということ。
エベレストも存在するから登頂できる。
100mを5秒だか6秒だかで走るボルトも、存在するから目指せる。
至高の食材を煮込むスープだって、存在するから作れる。
存在しない架空の存在は目指せなくとも、存在するのならそこに近づくことは許される。
到底無理な目標であっても、それを目指すことは誰にも否定はできないだろう。
だから今日も自分は花山薫になりたい。いや、なれると思い込みながら毎日を過ごしている。
ロールモデルを設定しろだとか、メンターを持てとか、喧しいことこの上ない。
花山薫が全てを担うんだから、何も問題はない。
全くもって、問題はない。
一体どこに問題があるのだろうか。
所詮フィクション。そんなことは理解っている。
だとしても、だとしても、身長180cm体重86kg握力64kgの自分だって、憧れを目指してもいいだろう。
なぜなら俺は花山薫だから。
イメージは具現化する。想像の対戦相手だって、突き詰めればそこに顕現する。バキにそう描かれていた。だから間違いはない。
現実を現実として見つめ、自覚し、魂に刻み込む。
そんな時間が東京ドーム地下闘技場には流れていた。
その日の夜はチャラついたカクテルの気分にはならず、彼にちなんでゴッドファーザーにしてみた。
鋭いウイスキーに溶け込むアマレットが、何度も何度も書いているあの人を思わせる味だった。そんな気がする。
興奮冷めやらぬまま、帰りの新幹線でこの記事を書いた。
明日からも花山薫たるべく、全身を傷だらけにしながら生活することだろう。
まぁ、そんなことを言いつつも昨夜はホテルで吐いたんだけど。
とりあえず、バキ展に行ってきました。それだけです。少しでも気になったのなら、Netflixでアニメを観ることができるので是非どうぞ。強くなりたくば、喰らうしかないのです。
ではまた明日。おやすみなさい。東京旅行記は近々書こうと思います。