機内モード生活
今この記事は空の上を飛ぶ飛行機の中で書いている。
胡散臭い年商50億の社長がやりがちな書き出し、嫌いじゃないけど好きでもない。
北海道に向かっている。もう目的地の札幌までは10分ほど。当機は着陸態勢に入った。
約1.5時間のフライト。少し遅れてほぼ2時間。
本を読んでいた。
機内モードになれば、愛しているTwitterも開けない。Wi-Fiの繋ぎ方を知らなくてよかった。
弱者の生存戦略についての本と、漫画を2冊、それから鞄に入れたままだった思考の整理学に、読書大全の副読本。
本が読める。と、読まなくてはいけない。と、読めるのに読まない。があると思っている。
電波がないということは、もう本を読む以外やることがなかった。
ここ最近で「本を読む以外にすることがない」なんてタイミングはあっただろうか。そんなことを考える暇もなく、思い出したように今こうして記事を書き始めた。
断食がある。文字通りご飯を食べないで過ごすそれ。
スマホ断ちとかの言葉は既にあるけど、別にそこまでの意思でネットから離れることをしたいわけではない。
そんな自分にちょうど良かったのが「機内モード」だったのかもしれない。
なんでもわかる端末が、今は既にダウンロードしてあった電子書籍を読むか音楽を聴くか。そしてこうやって出力をするか。そんな縛りのあるものに成り下がった。
成り下がったとするべきか、至高に成ろうとしていたのか。それはそれでなんとも分かりにくい。
久しぶりに集中して本が読めた。
年々歳を重ねるにつれて本が読めなくなるらしい。
目はかすみ、肩は凝り、文字は滑る。
既にその節を感じている自分にとって、読みにくいことは自分の読書生活が滞る余命宣告みたいに感じている。
読めるうちに読まないとなぁ…そう思って部屋に置いている本のことを思い出した。
そう考えると、ゲームもスマホもアニメもなかった小学生だったからこそ、図書室の本を読破できたのかもしれない。
多分今の時代に小学生をしていたら、間違いなくスマホに毒されてリベラルの意味を履き違えた何にでもソースを求めるクソガキに育っていたに違いない。
機内モードの生活は既にしていたのかも。だとしたら、一体いつから自分は3Gに繋がったのだろうか。4Gに繋がっているのだろうか。
ちょうど今地上に着いた。機内モードを切ろうと思う。
再び、2時間ぶりに電子の海に潜ることにする。
今私は地上を走る飛行機の中でこの記事を書いていた。