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止められない喪失の予感
初めてのエヴァはなんてことはなかった。当時12歳の小学6年生だった自分にとって、「エヴァンゲリオン」は「紫色のガンダムとエイリアンが戦うアニメ」だったから。
テレビの前で、お茶の間で、リアルタイムでエヴァを知っていた大人とは違って、自分がエヴァに触れたのは『新劇場版:序』からだったし、そこから『破』や『Q』を観て、漫画を読んでアニメを見て、何度も何度もこのループを繰り返した。
博士と呼ばれ、オタクと蔑まれ、当時好きだった女の子がバレそうになった瞬間綾波が好きだと叫んでごまかして半年間クラスメイトにうっすらとATフィールドを張られ、自分よりも詳しい人間はいないと勘違いをしてその度に自分の数倍もわからないことを持っていた人に覆されてきた。
そして2021年3月8日の朝、全てが終わった。時代が、歴史が、世界が終息し、並び歩いていた自分が一歩だけ、ほんの少しだけ先を歩くことになった。
9年間寄り添い続けていた存在は、いつの間にかその長さを更新しなくなったらしい。
人生の半分ほどそばにいてくれた「それ」は、あと10年もすれば人生の1/3となり、さらに歳を重ねれば重ねるだけ1/5、1/7となり、思い出の欠片と化していく。
14歳の運命を仕組まれた子供たちの話を共に生きた主人公と同じ誕生日に生まれた子供はいつの間にか20歳を目の前にし、自分の家に発泡酒ではない金色のビールや獺祭が置かれていたミサトさんに愛おしさを覚え、学生団体に所属して管理職を経験した今はNERVやWILLEの「報・連・相」のなさに絶望した。
今年で26周年を迎えたエヴァは、25年の四半世紀を超え、そして終わった。
となるときっと26年前、本当に子供だった人たちはこの日を迎えるまでに26年も現実を生きてきたといっても過言ではない。映画館の列で「死ぬまでに観られてよかった」と笑い合うTHE・オタクの中年を見て胸にくるものがあった。きっとあの人たちもまた、エヴァの呪縛にかかり続けてきたのだろう。
人生の1/3をエヴァと共に、1/2を、いや、下手すると1/1をエヴァと共に生きてきた人だっている。
これまでエヴァと一緒に生きてきた年数よりもこれから何かと出会って歩く年数の方が多い自分は、エヴァと別れた空白を埋められるのだろうか。
上映終了した劇場から出て駅に向かって歩いていたあの瞬間、あの瞬間は「あぁ、人生のベストに食い込んだな」としみじみ思っていたけど、今はそうじゃない。
あれだけ待って、あれだけ追いかけて、あれだけ一緒にいた作品とはもう二度と会えないのだという喪失感が頭の中をふわふわとしている。
入場者プレゼントもパンフレットも、それを開いて読み終わった瞬間、今度こそ存在が消えてしまうのではないかと不安になってしまってまだ開封すらしていない。
昨日も今日も読もう、読もうと思って手元には置いていた。読めなかった。
公式が「ネタバレ要素があるので観賞後しか読まないように」とわざわざビニールに入れて封までされているこのパンフレットを開けられない。
まるでパンドラの箱のようになってしまっているこの焦燥に、果たして希望は残っているのだろうか。
いっそ誰かに開けられてしまいたい。いやそれはそれで嫌だ。
(ここから若干本作のネタバレを含むので未鑑賞の方は戻ってください)
劇中での「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」の一言に込められた言葉の重みがひしひしと伝わる。
作品内の世界における「別れ」と現実世界にいる自分たちにおける「別れ」は似て非なるもので、これからの彼らを知る術を喪った今、彼らを思いそして祈ることしか許されない。
きっとこれまでされてきたグッズの展開も少なくなっていくだろう。フィギュアもそこまで出ないだろう。
なぜか?
この『シンエヴァ』によってあの世界を覗き見る権利は終劇を迎えたのだから。
ドラえもんのエピソードに、ドラえもんが未来に帰ってしまった日の夕方、のび太が自分の部屋でタイムマシンにつながらなくなった普通の引き出しと残された形見を横目に泣いているのか笑っているのかわからない顔をして安らかに座っているシーンがある。
これまで毎日を彩り、少なくとも一度は意識をするような存在が今は笑顔で去っていった。
あの公開初日の初回の上映終了後、自分はちゃんと別れを告げられていたのだろうか?
別れを受け入れ、泣くことは他人のためになることではないと知り「大人」になったシンジになれたのだろうか。
悼むわけではない。亡くしたわけでもない。それなのにどうしてか、不可逆的な別れを自らの手で選んだのに、観たことを後悔しているのかもしれない自分がいる。
どうして「最期」を観てしまったのか、あのまま自分の中で終わりを迎えなくてもいいじゃないか。
今ならそう言えるけれど、もしかすると2日前の自分の方が大人だったのかもしれない。
全てに決着をつけようとした人たちの姿が、そして全ての償いをする覚悟を決めた人たちの表情が、これからの自分の頭の中には棲み続けるのだ。
「希望は残っている、どんな時でも」そう言われたことを信じて9年間待っていたんだ。
それなら今度はまた会えるためのおまじない、「さようなら」がいる。
またいつか会えることを願う魔法の言葉を、軽やかに別れを告げる「再見」を、二次元の世界を超越した、自分たちからの呪縛から解放された彼らに手向けようか。
もしかすると、今ならパンフレットを開ける気がする。これを投稿して、ゆっくりと終わらせようと思う。
さようなら、全てのエヴァンゲリオン。
まぁ、これからも話はするし考察も感想もガンガンするんである種の区切り、みたいなものなんですけどね。
それでも自分の中でこうして区切れたことに感謝をしたい。なんかスッキリしてきたぞ??
あれ?さっきまでの喪失感に包まれてたテンションはなんだった??あれ???
ちょっとパンフ読んでくる。
読んでくださってありがとう、おやすみなさい、そしてさようなら。
また明日。