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吸わなくてもやっていける。多分。

卒煙をするか迷い始めた。

というのも、最近煙草が不味く感じてきたから。

20歳の誕生日プレゼントに先輩から煙草とライターをプレゼントされ、それ以来半年ちょっと吸い続けてきた。

大学の授業を何コマか受けたあとに吸うラキストは死ぬほど旨かったし、どこか浄化されているような気をしながら「よしっ」と切り替えてきた。

バイトが終わった帰りの一服はクエスト達成のような気がして最高に気持ちが良かった。

酒を覚え、適度に酔いながら吸う瞬間は脳が痺れた。

喫煙所で偶然会う教授が好きだった。先輩と吸う瞬間は年齢を飛び越えて対等になれたような気がした。身分も年齢も何もかもを無視していい、そもそもそんなことを考えなくてもいい時間が流れていた。

事後に吸うなんとも気怠く昇る煙にエモを感じたこともあった。

脂っこいご飯を食べて胃が幸せになったあとに吸う瞬間はたまらなかった。

最近はそれを感じられなくなってきた。

どうしたことか、昨日くらいから急に煙草がそこまでいらなくなってきた自分がいる。まるで恋人に対する愛情が急に冷めたかのように、関心が薄れた。

そもそも自分は煙草を必要としていなかったのかもしれない。

20年間必要としていなかったものを半年そこら嗜んで、結局そこまで必要だと思えなくなってきた。

春休みが始まり、わざわざ家から出てぷかぷかと吸うことに魅力を感じなくなってのかもしれない。

毎日多くて5本そこら。喫煙者としてはそこまで吸うわけではない本数を吸って、覚えている範囲でざっくり数えれば大体30箱ほど、600本ほど吸ってきた。1本で15分寿命が縮むといわれているので150時間の寿命を消費し、余命を3日ほど縮めてきた。

煙草を吸う人のほとんどがストレスを感じているらしい。

言われてみればそうかもしれない。疲れている瞬間はとりあえず吸ってみるところから立ち戻っていた気がする。

大学最寄駅の喫煙所で一服し、よっしゃと意気込んで登校し、授業終わりに一服。帰りに吸って、風呂に入る前にひと吸い。これで大体4,5本を毎日吸っていた。

休日はそこまで吸うこともなかった。多くて3本くらいだろうか。

それが今はそこまで必要に感じられなくなった。明確な理由は分からない。

もしかすると自分は煙草を吸いたかったのではなく、煙草を吸うということに憧れを持っていただけだったのかもしれないし、それがおそらく正解だろう。

自分が見てきたカッコいい男はみんな喫煙者だった。

スポーツ選手が使っている靴を履けば足が速くなると思っていただけの子供とさしてメンタリティは変わらない。

60くらいで人生を終わらせてやろうと息巻いていた。

さっきお昼に煮豚丼を作ってマヨネーズをそれなりにかけて目玉焼きまでのせて食べた。旨すぎて意識が飛ぶかと思った。

ついでに一本吸ってみた。当時感じた感動は薄かった。本当はこれをオチに持ってきて「やっぱり死ぬほど旨かった」とでも描こうと思ったのに拍子抜けだ。

ジッポーも買ったんだけどなぁ。定期的に磨いていたし、なんなら昨日ウィックも取り替えてオイルも足した。なのにどうしてなのだろうか。

これまでも急に物事への関心がぷつりと切れる瞬間が多々あった。

趣味へのモチベだったり、人への関心だったり、それらは急に(あ、なくてもいいやん)とぷつりと切れてしまう。

執着をした経験が正直そこまでない。去るもの追わずの生活がもう自分の一部になってしまっているのかもしれない。

最初から健康に悪いということは知っている。知ってなお吸っていた。

喫煙所にいる人が好きだった。どこか諦めた顔で吸っていた人たちが自分を受け入れてくれているような気がして、自分はこの世界にいてもいいのだと許してくれていたような安心感があった。

あそこにいる間は何も考えなくてよかった。

どんぐりの背比べを一番感じられる場所だった。

もしかすると、もう自分はあの空間を必要ではなくなったのかもしれない。

そうか、自分はそこにつながるものを手放すタイミングが来たのだろう。

少なくとも大学が始まって、また吸いたくなったら吸うことにしよう。

吸う本数を減らすのではなく、吸いたくなったら吸おう。それくらいの立ち位置で、また自分がどうでもよくなる瞬間が来るまで、少しライターには待っていてもらうことにしよう。

家の灰皿を今度洗ってあげよう。

チャットモンチーの『染まるよ』を最近見つけました。あぁ、エモいなぁと感じた自分はまだまだやっていける。そんな気がする。

とりあえず、これからバイトだけど行く前に吸う必要はなさそうだ。

吸わなくても、やっていける。今なら。多分。


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