”「仕事ができる」とはどういうことか?”を読めば、仕事にはスキルよりセンスの方が重要だということが理解できる
上述の書籍は皮肉混じりのユーモアが特徴的な楠木建氏と、さらっと毒舌を交えた冷静なコメントが特徴的な山口周氏の対談のまとめであり、大変面白く読んだ。この本を読めば、以下の疑問が理解できるようになる。
なぜプレイヤーとして超一流のスポーツ選手がコーチになることができないことがあるのか。もしくはコーチになれたとしても、立派な成績を収めることができないのか。
一方で、なぜプレイヤーとしてはそこまで目立った実績を出さずとも、コーチとして超一流の成績を収める人がいるのか(例:故・野村克也監督、元ロスアンゼルス・レイカーズのヘッドコーチ、フィル・ジャクソン等)。
なぜ、営業マンとしては凡庸だった人でも、チームの業績を上げる管理職になることがよくあるのか。
なぜ、元GEのCEOや会長を務めた故・ジャック・ウェルチ氏は、30代後半にして執行役員にまで出世することができたのか。
なぜ、世の中には30代半ばで首相になってしまう人もいれば、年齢を重ねても首相になれない政治家がいるのか。
上記の疑問に対するややラフな解答を述べてしまえば、それは野村監督もジャック・ウェルチ氏も、皆いずれも「センス」があったからだ。
ここでいう「センス」とは「判断力」に等しい。スポーツにしろ政治にしろビジネスにしろ、日々大小の判断をしながら自分たちの仕事をすすめていかなければならない。
そして残念なことに、この「センス」は、我々が20代の頃思い描いていた「仕事のできる人」が持っているだろうイメージの延長線上にはない能力なのである。
若い頃の仕事ができる人のイメージといえば、計算が早い人・知識量の多い人・手先の器用な人・パワポ作りが上手い人などの「スキルを持った人」である。
だが、経営者やコーチや政治家に必要な能力はこうした「スキル」なのではない。スキルを持った社員が集めてきたデータや資料を元に「判断」する能力なのである。
したがっていくらスキルを磨いたところで、その延長線上には政治家や経営者、ヘッドコーチなどに続く道はない。
残念ながら若い頃重宝される「スキル」はいわば「使われる側の能力」であり、いくらそれを極めたところで「スーパー雇われ人」になるだけであり、「使う側」へのキャリアパスは開けない。故・瀧本哲史氏の言葉を借りれば、こうしたスキルは「奴隷となるためのスキル」なのだ。
では、「センス」を磨くにはどうしたらいいのか?本書及び私の実務経験上の解釈は以下の通りである。
日々インプットした情報を元に、判断する訓練を欠かさないこと
その訓練を、自分自身の中に判断軸の型ができるようになるまで継続し続けること
以上のプロセスは、機械学習が大量のデータを取り込みながら自分自身のアルゴリズムを強化し、精緻にしていくプロセスと似ている。
私の実体験を振り返れば、メガバンク勤務時代、私の同期で経営企画部に所属していた知人がいた。彼は日々経営に上がる資料を読み込み・チェックし、経営会議に上げ、そして経営会議の議事録を作成していたが、「どう説明資料を組み立てればよいか」「どう説明すれば経営からの理解が得られやすいか」「どのような案件が承認されやすいか」などの判断力に長けていた。したがって、経営陣に必要とされる「センス(判断力)」を習得した彼は、今後最低でもそのメガバンクにとどまれば、役員には出世できるだろう。
これも、大量のデータを日々インプットし、そして自分の中で理解をした上で判断する訓練を日常業務の中で自然と繰り返していた結果である。
インプット→アウトプット→自分自身の中の判断軸の構築 というプロセスをイメージしながら業務に取り組むことが重要なのだと思う。
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