人間は進化するのか?
人間って、進化してるのかな。
ふと、こんなことを考えた。
僕は生物学の専門家でもなんでもないので、そもそも進化の詳しい定義がわからない。
魚が進化して陸に上がったとか・・・それは、もう魚ではないのでは。
進化とは急に変わったわけでは無く、環境に適応できないものが淘汰されて、有利なものが何世代にもわたって生き残った事で起きる。
じゃあ、人間の進化ってなんなんだろうな。。
「ジオンなきあとはニュータイプの時代なのだ!!」
って、話になるのかな、やっぱり。
ニュータイプと言えば、この本は、なかなか面白かった。
僕は子どもの頃から、周囲に同調できない癖があったんだけど、自分はすでにニュータイプだったんじゃないかと、謎の納得をしている。笑
意識高い系
いつ頃から出始めたか解らないけど、「意識高い系」という言い方が、今ではすっかり定着している。
まあ、ちょっとこの言葉は、厨二病を拗らせた大人を揶揄するようなニュアンスもあるけど、純粋に褒め言葉として捉えると、ある意味、1世代進化じゃないかという気もする。
ちなみに、前項で紹介した本でいうニュータイプとは、ぜんぜん意識高い系のことを指しているわけではない。
どのタイプが生き残るのかわからいけど、すでに何系統にも進化が分岐し始めているのかもしれないね。
進化か、退化か。
じゃあ、意識低い人は退化なのかといえば、そういうことではない。
例えば、若い子のコミュニケーション能力が落ちているということがよく言われるけど、僕はこれも一種の進化じゃないかと捉えている。
「言葉にしなければわからない」「膝をつき合わせて語り合おう」ということを大事にしてきた世代からすると理解しがたいが、「空気を読む」ということは、若者にとって、重要な生き抜くスキルになっていると思う。
立派な文章を書いたり、雄弁で相手を説得するようなタイプの人が子孫を残せず、空気を読むタイプの人が更に進化を続けると、数百年後には、ほぼ音声による会話というものが無くなって、顔色だけでコミュニケーションが成立する時代が来るかもしれない。
古代の粘土板
ロンドンの大英博物館に展示されているという粘土板。
紀元前1,750年頃の古バビロニア時代の物だという。
見るからに、神々の言葉でも書いてありそうな崇高な雰囲気を醸し出している。
ところが、楔形文字を解読したところ、こんな内容だったそうだ。
「店に『いい銅の延べ棒を渡しますから』と約束されて金を払ったのに、ひどいのをつかまされた」
「『欲しいのでしたら差し上げますが、いらないならおかえりください』だと?」
「ちきしょう店のやろう、おれを誰だと思ってるんだ?」
「ほかの客にもこんなナメたマネをするのか?」
出典:『その悩み、哲学者がすでに答えをだしています』著・小林昌平
面白すぎる。
結局、半ば騙されて店へのクレームという内容だ。
それを、わざわざ、文字に残して他の人にも伝わるように残しているのだから、今風に言えば、レビューの低評価を投稿するようなものだ。
3,800年前の人が考えていたことって、以外と今と変わらないのかもしれない。
人の進化って・・
人類だって、何千年も経つうちに、脳が大きくなったり、寿命が延びたり、内臓の仕組みも少しずつ変わっているんでしょう。
でもやっぱり、人間は人間である以上、いうなればマイナーチェンジを繰り返していてる程度で、フルモデルチェンジしたら、それはもう人間じゃなくなるってことかもしれない。
進化分類学の、分岐図というのは、どこかで見たことがあると思うけど。
我々人間が、すでに分岐し始めていて、自分こそ立派に生きていると思っている人の方が、実は本筋から分岐して終点に向かっているかもしれないなんて考えると、ちょっとロマチックな皮肉。笑
数千年後の未来人が、アウストラロピテクスからの流れを見たときに、現代人はどのような進化の過程にいるのか、見ることが出来たら面白いのにね。