日本のアニメは日本を描くべきか
日本のアニメは、今や日本を代表する文化の一つとして、世界中の人たちに親しまれています。
宮崎アニメは、欧米の映画賞を次々と受賞し、ポケモンはアニメもゲームも世界中の子どもに楽しまれ、新海誠作品は中国などで爆発的なヒットを飛ばしています。
なぜ日本のアニメは、ここまで世界に冠たる文化となったのか。
その理由を映像の授業でも取り上げることがあります。
日本アニメがヒットする理由
日本のアニメのヒットの理由は、幾つもの複合的な理由があります。
一つは、低コストです。
初の長編テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』以来、日本のアニメは省略できるところを省略し、工夫を凝らしてコストダウンを図ってきました。
コストの低い製品に競争力があるのは、工業製品もアニメも同じです。
また、ビジネス上のメディアミックス戦略が功を奏している点も挙げられます。
テレビアニメだけでなく、漫画、映画、ゲーム、キャラクターグッズなど、多様なメディアで同じコンテンツを展開することで相乗効果を図るのです。
今では常識となったビジネス戦略ですが、日本アニメはごく初期からこうした展開を前提にアニメが制作されてきました。
ポケモンの大ヒットも、この戦略が大きな要因になっているのは論をまちません。
日本アニメは日本を描く
さて、私が日本アニメのヒットの要因として、もう一つ挙げているのが、「日本の文化・風習を描く」ことです。
2000年前後から、アニメや日本料理など日本文化に注目が集まる「日本ブーム」が起こり、今も続いています。
19世紀に浮世絵などの日本文化が流行したジャポニズムになぞらえて、「ネオ・ジャポニズム」と称する人もいます。
コロナ直前の2019年まで、インバウンド需要が右肩上がりで増加していたことも記憶に新しいところです。
この日本ブームやインバウンド増加の牽引役となったのが、日本アニメの海外でのヒットです。
私は、海外から日本に旅行にやってきた人たちと話す機会が、これまで多々ありました。彼らは、非常に高い確率で「日本に興味を持ったきっかけはアニメ」と言います。
アニメを見て、そこに映っている寺や神社、都会の街並み、主人公が住んでいる家や食べている料理など、私たちにとっては当たり前の日本の日常の風景に興味を持ち、「あそこに行ってみたい」「あの料理を食べてみたい」という動機で日本を訪れるのです。
日本アニメは、それ自体が日本を代表する文化であると同時に、日本の様々な文化を海外に伝える宣伝の役割も果たしているというわけです。
文脈依存性の低いアニメは売れる?
一方で、アニメや映像コンテンツは、文脈依存性が低い方がヒットしやすい、という論もあります。
文脈依存性とは、「あるものが存在する背景(文脈)がないと、その意味が分かりにくい」という性質のことです。
映像で言えば、例えば歪んだ茶碗を映して「これは美しい」と言われても、茶道のわびさびの精神を理解していなければ共感できない、といったことです。
つまり国民性や文化の違いを感じさせないコンテンツの方が、どの国の人にも受け入れられやすいというわけです。
これは思い当たる節があります。
かつて放送番組の海外販売の仕事をしていた時に、NHKのコンテンツで最も売れ筋だったのは、動物たちが出てくる自然番組でした。
ドラマは、欧米ではなかなか売れず、主な売り先はアジアでした。
チーターやライオンの姿を追う自然番組は、日本を全く知らない国の人でも日本人と同じように楽しむことができます。
文化や風習、価値観や人種など、様々な文脈≒背景のもとに成り立っているドラマは、それらを共有している国々の方が受け入れられやすいのです。
アニメでも同じことが言えるのでしょう。
確かにポケモンやドラゴンボールなど、世界各国で売れた作品の中には、文脈依存性が低い作品が数多くあります。
ドラえもんのアメリカ版が制作される時に、しずかちゃんの性格が原作より強気ではっきりものを言う女性に変更されたという話もあります。
日米の女性観の違いを浮き彫りにした逸話です。
日本のアニメは二刀流
しかし昨今の日本ブームは、この一般論を凌駕する力を持っているように見えます。
一連の新海誠作品の世界的ヒットは、それを象徴しています。
「君の名は」「天気の子」「すずめの戸締り」。
いずれも、きわめて日本的な風景や要素をふんだんに取り入れた作品です。
海外のアニメファンたちは、こうした作品を見て、日本にあこがれ、その風景を求めて日本を目指すのです。
文脈依存性が低いアニメは、それはそれでヒットする。
昨今の日本ブームを受けて、日本文化を写し出したアニメも、やはりヒットする。
日本のアニメは、今や「二刀流」となったと言えるかもしれません。