214:日にち薬
・この言葉の持つ儚さがとても好きだ。
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・この「日にち薬」という言葉は、腐れ縁な地元の友人がよく言っている。
・失恋した時などに「今は失恋直後の痛みが心に残っているが、いつかこの苦しい時間も忘れるはずだ」という意味で、それを自分自身に言い聞かせるために彼はよくこの言葉を使っている。
・自身を励ますために使っている。
・ちなみに名誉のために一応補足しておくと、彼はカッコいい九州男児であるが故に恋多き男であるが、遊び人などでは全くないので一つ一つの恋愛に真剣に向き合った上で、いつもしっかり傷ついている。
・前を向くための言葉として良い考え方だと思う。自分も恋愛事に限らず、何か苦しい出来事があった時にはよくこの言葉を思い浮かべている。
・と、自分を慰めるためのものとしてこの言葉を捉えていたが、最近はこの「日にち薬」というのは前向きな言葉である一方、寂しい言葉でもあるなと感じている。
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・自分は「記憶」と「そこで生まれた気持ち」をとても大切にしている。
・楽しかった出来事、悲しかった出来事。まだまだちっぽけな年数ではあるかもしれないが、今まで生きてきた27年間で喜怒哀楽が動かされる出来事はたくさんあった。
・わかりやすい所で言うと、中高の部活動・受験勉強、大学のサークル活動・新卒就活などで苦しみを分かち合いながら友人と駆け上がった青春。堕落と快楽を混ぜ合わせた大学時代のコミュニティ。新卒の会社の同期と会社への不平不満を漏らしながら吐き出した愚痴と煙。わだかまりを抱えながらも一旦は成功したいまの会社の海外新規プロジェクト。
・ちょっとしたことでも、例えば誰かと遊んだ時や一緒に観た映画・勧められて読んだ本や聴いた音楽など。
・とにかくどんな出来事でもその記憶と気持ちは大切にしたい。
・今の自分とは考え方・価値観が異なっていたとしても、そしてそれが成長によって異なるものになったとしても、その出来事に遭遇した時の自分は等身大の自分だった。
・「その時は等身大の自分がいた」というのはとても尊いものなのだ。
・しかしそれらの出来事は「記憶」としては残っているが「気持ち」はもはやわからなくなった。価値観なども変わって、「実感として持っていたはずの気持ち」は、日にちが経つごとにどんどん薄まっていった。
・人間としての活動をしている以上、「日にち薬」は幸か不幸か、どんな出来事にも適用される。
・それが正しい時もあれば正しくない時もある。
・そういうのを全部ひっくるめて、「日にち薬」という言葉の持つ前向きさと儚さの両面性が、良いなと思っている。
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・人生において停滞などはあり得ない。
・停滞しているように見えたとしても、時代は、世の中は、環境は、季節は、移ろうものなのだ。
・「日にち薬」は常に働いている。等身大の自分は、いつか等身大じゃなくなる。
・だからこそ「少なくともその時の自分は等身大だった」と言えるよう、日々を精一杯生き抜きたい。
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