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37歳他人軸から自分軸に変わった、はなし(3/3)

前編1、2に記述した通り
紆余曲折あって、あえて他人軸を選択して生きてきた私
作家としての未来を考えた時、この他人軸がすごく邪魔になった

自分の気持ちがわからない

判断力が極端になくなっていた
「あなたはこれからどうしたいの?」の質問に答えられない
作家だから「売れたい」という気持ちだけが亡霊のように微かに残っていることは感じ取れるけど、何をどうしたいのか自分の気持ちなのに捉え切れない

手段と目的が入れ替わってた

SNS上には数々の成功体験が毎日のように投稿されている
他人軸の私はSNSで目にするそれらに自分を当てはめようと試みた
疑いもしなかったけど、他人のエピソードに私がハマることは当然ない
でも、うまくいかないのは私が未熟だからだって本気で信じてた
そういえば「再現性」って言葉にもよく目に留まった
誰もが当てはまるかのように書かれたSNS/ブランディング/自己分析などの投稿には特に熱心に読んでいた時期がある
そもそもの話、自分が何をしたいのかが定まっていない
安易に欲しい結果だけを求めたから、まんまと手段と目的が入れ替わってしまった

目にも当てられない痛いヤツ

何度事故にあったことか
思い出しただけでも痛い
目にも当てられない痛いヤツだったと思う

でも、今から思うとこれも自分軸に戻る栄養になった
他人に痛々しいと思われること自体どうでもよくなるくらい、事故る数が多すぎて麻痺した
図々しいともいうのかもしれない
20歳だったら耐えられなかっただろうとは思うから、年は重ねるもんだね

ようやく他人軸から自分軸へ

行動力についてよく褒められる私
思い立ったら即行動(ここについては別の記事にする、実は私の行動力には理由がある)
チャレンジは山ほどした
こうじゃないかって思いついた仮説は全部行動を起こし、見事に全部失敗した

毎回、消えてしまいたいくらい恥ずかしいし、自己嫌悪が止まらない

少し考えたらわかるだろうと言われることも、全部やってみなきゃわからない私は本当に全部やった
全部失敗した
けど失敗したことは2回目は失敗しない
そうやって「失敗しないこと」の炙り出しにようやく成功した
これが私の他人軸から自分軸への転換

他人軸だった時は失敗した時
「失敗を見られて恥ずかしい」
「あの人はできたのに自分はできない悲しい」
「馬鹿にされる」
「私なんかうまくいくはずがない」そう思った

次に活かせれば失敗じゃない

事故ったら「こうすると事故るのか」って気がつけばいい
次に活かせれば失敗じゃない
全て成功のための検証
荒療治かもしれないけど、意識し始めて4年かかった
今は他人軸、自分軸どちらの視点も見える
その上で自分軸が優勢って感じ

これからの自分が楽しみ

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