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【カルチャー俳句通信2】俳句ができる瞬間~心を毎日、放し飼い
カルチャー俳句講座の生徒さん向けのコーナー。
不定期通信の第二回は「どんなときにできる、俳句?」。
私個人の経験をもとにお話します。
俳句を既になさっている方、また「これからやってみたい」
という方もよかったらご覧くださると嬉しいです☆
なお、本コーナーはあくまでも著者の個人的経験および見解に
基づく内容です。その点を予めご了承お願いいたします。
基本「一日一句」、でも「いつでもできるわけではない」
以前、俳句結社誌で俳句講座体験記の連載を2年ほどしていました。
そのときに「一日一句のススメ」を書きました
(これについては、別の機会にここでも書く予定)。
今でもその日課は変わらないのですが、
仕事が忙しかったり心身の調子が悪いと
「今日はノラねえ。だからヤラねえ」
と諦め、その分翌日つくったりしています。
そんな繰り返しです。めちゃユルイ取り組み。
ただ「一日一句」の癖を何となくつけとくと
いつも脳や気持ちが「五七五臨戦態勢」になります。
そうすると何か感じたときに、「パッ!」とその感覚が
具体的な言葉や映像を得て俳句形式に収まる確率が上がります。
その結果「今日はヤラねえ」だったのに、
ほいほい俳句ができてしまう瞬間が来やすくなるのです。
つまりその気はなくても、
「俳句表現のアンテナは普段から張っておく」。
そのための「一日一句というストレッチ」。
その2点が大事かな、と個人的に思います。
普段の日常こそ、創作のネタの宝庫
とはいえ、コロナでいろいろ慎重になるこの頃。
ネタ(句材)を探すにも、寒くなってもきたし
なかなか外へは……ということもあるかもしれません。
でも、大丈夫!
「普段の日常でも俳句が出現することは意外とある」
この機会にそのことをちょっと体験してみるのも
ワンステップ・アップになるかも?
以下に、体験に基づく2例をご紹介します。
■Ex1:仕事の中からの出現
リモワでも外勤でも通常通りのお仕事をされている方は
多いのではないでしょうか。
学生の方は通学などがあるでしょう。
その毎日繰り返して見ているルーティン業務や授業、風景等が
実は思わぬ発見をもたらしてくれることがあるのです。
私の場合、専門的な内容に取り組んでいる業務のとき。
毎日「タンパク質」という用語を目にしていました。
いつもはスルーするその言葉。
それがある日、違った色で見えたのです。
「人間の髪も肌もその組成の多くがタンパク質……」
その時にぱっと浮かんだのが、句集『柔き棘』の下記の句でした。
いなびかりタンパク質のわたしたち 柏柳明子
■Ex2:テレビからの出現
緊急事態宣言が延長されたころは
私も感覚がカラカラになっていました。
外部の刺激がほとんどない状態でしたから
句ができやしない。できても面白くない(^^;
そんな状態でネット句会の〆切が目前と迫っていました。
「明日●時まで……10句どうしよう(^^;」
しかし全くやる気がでなくて、私は半ばやけっぱちに
その時に再放送されていた大好きなドラマ
「SPEC」全話を繰り返し観ていました。
「当麻と瀬文、この関係やっぱいいなあ。
展開もすげーなー♡」
そんなことを思っているうちに
物語や登場人物そのものではなく、
「ドラマの風景や小道具」を基盤に
突然俳句がポコポコできはじめたのです。
そのときは慌ててスマホに打ち込みました。
それまでも映像作品から間接的にインスパイアされて
句ができたことはありました。
でも短時間にたくさんできたことはありませんでした。
その結果できた句は、見かけも内容も
「SPEC」とは一見関係ない作品。
でも普段の私のテイストとは少し異なる作品。
今思うと追い詰められて、普段とは違う感覚の
「スイッチ」が入ったのかもしれません。
ちなみにこのときの10句は無点句と高評価で半々。
でも結果はどうあれ、私にとって「脳の別の回路が開かれた」
快感に満ちた句会でした☆
そして、不思議な「俳句の生まれる」瞬間であり体験でした。
自分でも予想のつかない俳句を生んでいきたい
「俳句は特別なところからやってくるわけではない」
私は経験からそう考えています。
普段その人が経験し蓄積している感覚や無意識が
具体的なかたちと季語を得たときに初めて生まれうるもの。
顧みると、上記2例も「普段の行為や好きなもの」を契機に
時と場を得て出現したものではないかと思っています。
その結果、ある日自分でも予想のつかない作品が
やってくることがある。
そのためにも、何となく俳句ストレッチを日々続けながら
「俳句以外の世界や時間」にも心を放し飼いにしておきたい。
そんなユルイ取り組みをこれからも続けていこうと思っています。