サヨナラババァ(8)
取引相手にボールを投げて、待つ時間が長ければ長いほど仕事は成立しない確率が高くなる。
その待つ間に、誰でもそうだが取引相手の「理由」や「言い訳」が聴きたくなるし進展してなくても話をしたくなる。
それが最も無駄な行為だと僕は思う。
結果は『いくつかの方法を予想した結果でしかない。』なら『理由』や『言い訳』よりもさっさとボールを返して欲しい!
この年の夏はまさに相手に全てボールがある状態で「待ち」の状態が何日も何週間も続いていた。金を作っては穴を埋めていくがいつまでたっても「たられば」話ばかりで仕事が決まらない。痺れる毎日だった。
穴埋めに出した手形は、時限爆弾のように刻一刻と翌月の決済日に近づいていた。中間処理場の債権の払い込み期日に残り2日を切っていた。Kは案件を持ってきてはうまくいかず僕の金が出る一方でお盆が開けようとしていた。
資金調達のあては大方ついてたのだが・・・
僕はこのババ抜き合戦にある種の寂しさを感じていた。
いつまでこんなことに付き合わないといけないんだ?飲めない酒を飲めるフリして話を合わしたり他人の困り事ばっかり押し付けられて、仕事や金が泡と消えて、結果自分が泥かぶる。
Kが持ってくる仕事は大きな企業や体勢に孤軍奮闘しても財力や人材不足で負けた。
そろそろ離脱準備を始めないと自分まで地の底まで落ちる可能性があるが、回収目処の『ボール』が返ってこない上、このゲームから降りる方法がまだ...思いついてなかった。
中間処理場の債権振込前日にHに電話した。
「明日決済するがどうする?」
「いくら用意できた?俺が値切るから半分使わせてくれないか?」
「半額にできるならいいんじゃない。」
「わかった!明日半分振り込んで!」
”この土壇場で値切るって発想はさすがに僕にはなかった”
半分が何に使われるのかはあえて聞かなかった。
「その半分はいつ戻ってくるの?」
「大丈夫!あてはついてるから心配しないで!」(一番信用してない。)
「わかった。」
結果は『いくつかの方法を予想した結果でしかない。』
予想は・・・
Hは値切り半分のお金も戻ってくる。
Hは値切り半分のお金は戻ってこない。
Hは条件付で値切り半分のお金はHの借金の返済に充てられる。
Hは値切れず全額振り込むことに結果なる。
おそらくこれぐらいの結果しかないだろう・・・。
翌日
「半額に値切れた!」
「そうか、よかったな。」
「けど残金期限を延ばして残金を作るから半分送ってくれ。」
結果、満額払うより、今使えるお金を残してやりくりして次に駒を進める方法をHはとった。
これにより僕は「Hから確実に回収する」という選択肢しかなくなった。
そして問題が同時に1つ派生した。
Kの会社で原発作業員と除染作業員を派遣しており利益を出すために別の地区の作業員確保を行なっていた。
日に日に作業員のルールが厳しくなり刺青や四肢欠損や元構成員の作業員は採用することもできなくなり一般作業員を募集するが危険手当が会社の取り分として確保できたのが作業員へ分配されることになり派遣手配の利益が出しづらくなっていた。
そこで、知り合いの派遣会社から作業員を数十人確保してもらったのだが、次は新規の現場が2ヶ月待たした上に始まらなかった。相手の会社への損害補償ということになりKの責任だったがKは相手の会社に謝りもしなかった。
そうして自分個人で損害補償をそれから数年かけて払うことになった。
紹介者としての責任だった。
こいつらとは潮時だなとこの時決定的に思った。
義理をたてない奴にいくら面倒をみても意味がない。
ババァにはやく僕の仕事だと気が付いて連絡が欲しかった。
そして、Eからの相談で「金を返さない会社があるので見てほしい。」
どんな会社か?と聞くと映画関係の会社だという。
僕はその業界に近寄りたくないから相談は却下だと言ったのだがEの運転する車に乗ってると半ば偶然、半ば強制でその映画会社に行く事になった。
業界の肥溜めみたいな会社なのだが、そこは水野晴郎の映画会社だった。壮大な自主映画シベリア超特急を作った映画評論家で金曜ロードーショーの顔だった水野晴郎の亡き後をついだ、ボンちゃんこと西田さんの会社だった。
話はこうだ、会社設立資金や事務所の費用などをEが出して、映画の案件(シベリア超特急)がやるやる詐欺で動かないから資金回収ができないという話だ。 僕はほんとに行くのが嫌だったが、ボンちゃんに「水野晴郎さんが死んでシベリア超特急の続編なんかどうやって作るんですか?」と質問したら、ボンちゃんは真面目に「イタコを現場に呼んで水野さんを呼んで監督させる」って言った。
面白い!
と思った自分が負けだった。
この年の夏で急速に全てが収束していくような感じがしていた。
8月末になり手形の期日が回ってきた案の定ジャンプするしか方法は残ってない。道は二つある、このまま入れさせて片目潰すか、手形をさらに切って資金をつくりジャンプする。後者は負債が更に膨らむので地獄だ。
そして、後者を選び手形が追加された・・・。
最低の方法だがもうそれしかなかった。
内心、早く潰れてくれ!と祈ってた。
また翌月まで延命されてもう付き合いきれないと思ったが、もう行くとこまで行くしかないとも思った。
Hは、案の定回収に手こずってるようなことを言ってきた。
想定通りだ。
ギリギリまでお互い揺さぶりあう。
「戻したらカウンターで資金を引き直すから一旦はこっちにもどせ。」
「ほんとにもう一度資金を引き直してくれる?」
「もう用意ができてる」
こんなやりとりが、何度も繰り返され、9月中旬に資金は戻ってきた。
渋谷の宮益坂あたりで別件の打ち合わせをしてたのが記憶に残ってる。
振込を確認してからHに連絡した。
「Hよ、もう駆け引きするのがめんどくさいからこれでやめるわ。じゃぁな。」
ギャーギャーとHは喚いてたが、僕は携帯の電源を落として番号を変えた。
実は、中間処理場は最初の資金を引いた後に代表者を登記から外して取締役からも他の役員を解任して、ちょうどこの資金の戻ってくる日をめがけて各銀行口座に登記変更による取引停止を銀行打ち込んだ。実質業務的な取引も停止させて、残金も全て引き上げた。
この日を約3週間ほど待っていた。
この日を界に、Hとは二度と会うことはなかった。
しかし・・・
思わぬ伏兵がこのあと何人も湧いてでてくる・・・。
つづく
40才になったので毎日書く修行です。