記憶喪失になった時に部屋の掃除をしてはいけない。【解離性健忘備忘録1】
初めまして、こんにちは。
白石りかと申します。
今回は備忘録として書いていこうと思います。
記憶喪失ってどういう感じ?
私が医師に言われたのは、解離性健忘と言われているよ。MSD家庭版マニュアル参照
幼少期に数カ月ないし数年にわたり虐待を受けていた経験や激しい戦闘に参加していた日々など、特定の出来事または特定の期間(限局性健忘)
ある出来事の特定の側面のみ、または一定期間中の特定の出来事のみ(選択性健忘)
個人的な自己同一性や過去の経験すべて、ときに習得した技能や世界に関する情報を含む(全般性健忘)
特定の人物や家族に関するすべての情報など、特定のカテゴリーの情報(系統的健忘)
発症後に起きた新たな出来事すべて(持続性健忘)
私はこれのエピソード記憶がないとされているよ。
陳述記憶には2つ
意味記憶とエピソード記憶があって、
意味記憶というのは、
「太郎は日本人である」
「日本人は人種である」
「人間は人種を持つ」
「人間は動物である」
I am〜
He is〜
I have〜
の記憶だとWikipediaに書いてあったよ。(情報が少なさすぎてソースがどうしてもWikipediaになってしまう)
エピソード記憶とは
一度限り、体験して覚える記憶がエピソード記憶例えば、「昨日の昼、自分の家のリビングで家族とカレーライスを食べたなあ。天気は曇り空で服はこういう服だったなあ」みたいな記憶
このエピソード記憶がないです。
ちなみに非陳述記憶というのもあり、こちらは体で覚える手続き記憶。プライミング、文字と文字の繋がりというか関係性というか、そういうのもあります。
・記憶喪失になった経緯
・2024年9月某日、自殺未遂を図る。
ちなみに自殺したいほど苦しい…というより、いっけなーい!衝動!衝動!というノリに近い。自殺未遂を何度も繰り返しているとそうなる。つまり何ヶ月も考えて、遺書用意して、死ぬか死なないかという振り子を振っているというより、数ヶ月に一回ある死ぬ振り子に一気に傾いている時に勢いをつけられるようにして自殺未遂に至っているという感じ。伝わるか?
その日に入院し、人生3度目の保護室に入る
・2024年10月上旬、段々記憶がなくなる
まだ保護室、この時、医師からトラウマ(広義)に効く漢方の処方である神田橋処方を勧められて飲むことになったので、完全にそれのおかげだと思い込む。トラウマ(広義)の記憶がWAVファイルとして保存してあったのがMP4と画質が悪くなっていって画像ファイルなどPNG、JPEG、みたいな記憶になって、最終的にテキストファイル(意味記憶)になるという記憶の遷移があった。
・2024年10月中旬、人生において昨日の昼からの記憶しかない
ここで医師から「強いストレスによってなるものです」「通常は子供がなることが多いですが、記憶の引き出しに鍵がかかってなるものです」みたいな説明を受け、なるほどこれは解離性健忘なんだなとわかった。
・入院中、記憶が戻ったり思い出せなくなったりを繰り返す。
記憶喪失って一回だけじゃない。複数回なり得る。
・2024年11月上旬「入院し続けても記憶が戻るわけじゃない」と医師に言われて退院
高校の出席日数がやばいということに気がついてしまい退院(自殺未遂した人間がいうことではない)
・2024年12月中旬、毎日今日の記憶しかない。
朝方は昨日の記憶は覚えているが、午後になるとない
・現在
少し記憶が戻ったり戻らなかったり、トラウマな夢を見て叫んで起きたり等が有り。
解離性健忘になって思い出せなくなった事柄一覧(思いつく限り)
・過去のトラウマ(広義)の記憶
・自殺未遂した日の記憶
・胸痛になるまで自責した時の記憶
・親の顔
・1週間前学校の家庭科室に集合ねと道案内と共に言われた時の記憶(1週間後に集合できず遅刻した)
・常に昨日と今日の記憶以外ない
・場所の記憶
「年の瀬だし」と思って、記憶喪失になった時に部屋の掃除をしてはいけないし、パスワードは自分が設定しそうなパスワードにしなくてはならない。
物の位置とか覚えられないし、パスワードは覚えてないから自分が設定しそうなパスワードをひたすら入力している。
しかしながら、私は部屋の掃除をしてしまった後なので、自分ならここにしまいそうだ!という気持ちでものを探さなければなりません。この固定観念こそが、ものを探すのにとって邪魔になるだろうと思いますけど。