【ブックレビュー】田尻智・浅野耕一郎・田中圭一 ゲームは「動詞」でできている
2023年12月に開催されるコミックマーケット103で頒布予定となる、田尻智・浅野耕一郎・田中圭一(敬称略)の三氏による「ゲームは「動詞」でできている」
今回、ご厚意により献本と書評の依頼をいただき、不肖ながらレビューを書かせていただきました。
本書に関して、詳しくは発行元サークル・デメ研の案内サイトをご覧ください。
田尻智・監修「ゲームは『動詞』で出来ている」案内サイトhttps://note.com/metakit/m/m254013cee821
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本書の監修をつとめる田尻智氏は「クインティ」「ジェリーボーイ」「ポケモン」などの名作を手掛けたゲームデザイナーであり、ゲーム誌のライターや攻略ビデオのプレイヤーなど、プロゲーマーとしても活躍した伝説的人物だ。田尻氏のことをよく知らなくても、「サトシ」という主人公の名前を聞いたことはあるだろう。
「ゲームとは何か?」を定義することはできない。その時代の人々の感覚や、技術の進化によってその形は全く違うものになるからだ。ゲームデザイン学には、それでもなんとかゲームを定義しようとしてつまづくジンクスがある。
そこで田尻氏と浅野氏は、ゲームの企画はジャンル等ではなくまず【動詞】で考えるものだと説明する。
動詞とコンピュータゲームには、当初から密接な関係がある。D&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)クローンから始まった初期のアドベンチャーゲームは、コンピュータを進行役に見立て、「郵便受けを開ける」「手紙を取る」といった行動を、ユーザーが直接タイプして入力することで進行するようになっている。一方で、このインターフェースは「隠された単語を推測するゲーム」であり、理不尽な難易度を伴うことから淘汰されていった。
ゲームデザイン学の元祖、クリス・クロフォードは「シブートの遺産」において、キャラクターの行動や感情をアイコン化しようと試みる中で、ゲーム内のインタラクションは自然言語から機能語を省いたものと定義した。つまり「王様と話す」は「おうさま」「はなす」だし、「郵便受けを開けて手紙を取る」は「ユウビン」「アケル」「テガミ」「トル」。この考え方は高度化したゲームやキャラクターAIでも一貫して健在だ。
「スーパーマリオ」のようなゲームは、直感的なグラフィック、演出やモチーフによって、地形やアイテム、敵キャラに内包された動詞が一目見てわかるようになっている。本書はこれを「説明効果」と呼ぶ(説明効果を最大限に活用した名作に「メイドインワリオ」がある)。本書は基礎だけでなく、演出やモチーフの裏付けとなる世界観の形成、音楽の役割や、ゲーム内経済や競争型ゲームのバランス調整、ネットゲームの運営手法にも踏み込んでいる。
本書で語られるプログラマとの言い争いのエピソード(読んでいて、真っ先にマーク・フリントの名が浮かんだ)は、ゲーム制作において誰もが経験する、感覚的正しさと論理的正しさのギャップ・ジレンマを端的にあらわしている。ゲームは遊びであるがサイエンスでもあり、それがゲームデザインを困難なものにしてきた。物理学的な正しさにこだわっては面白いゲームは作れないが、適切な数学や物理がなければゲームは動かない。しかし理系・文系で学問が分割されてしまうように、この両輪を同時に操ることは極めて難しい。本書はこの感覚の領域をロジカルに優しく言語化した、クロフォード以来世界2冊目の成功例であり、日本で初めての本といえるだろう。
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