【読了】『教室マルトリートメント』
著:川上康則
東洋館出版社
家宝にしたい。
これからの教育活動の基盤になるだろうと思う1冊に出会えました。
「教室マルトリートメント」の影響
「教室マルトリートメント」という聞きなれないことばの正体を知りたくて、手に取りました。知識不足の私にとって、この本の中にはたくさんの学びがありました。
まず、そもそも「マルトリートメント」とは。
マル=「悪い」 という英語の接頭語。それにトリートメント=「扱い」
をつけることで、「不適切な扱い」という意味になります。
世間一般に言われている虐待やネグレクトは今や、児童虐待防止法の観点から犯罪と定義されています。
ただ、このマルトリートメントはそのレベルにはならないけど、子どもたちにとって「不適切」な行為のこと。
「じゃあもう知らない」「そんなことできないなら赤ちゃんだね」「何回言ったら分かるの?」「勝手にしたら?」
などなど。筆者はこれらの言葉を「毒語」と表していました。これらの言葉。口にしていないか、自分の教員生活を振り返ってみました。
これらの言葉は、たしかに犯罪というレベルでの虐待にはなりませんが、確実に子どもたちの心に傷を生みます。私でも言われていい気持ちはしません。さらに、筆者は人間の脳の仕組みから「恐怖、失敗、悲しい出来事は、記憶に残りやすい」ともおっしゃっていました。
教員は何か指導したいこと、伝えたい事があり、それがうまく伝わらないもどかしさから「毒語」などを使い、教育しようとするのかもしれません。
しかし、これらの「行き過ぎた指導」は、子どもたちにとって、「結局のところ、何も教えたことになっていない」ということ。「教師側の自己満足」であること。と繰り返し述べていました。
ですが、確かに教育現場において、これらの言葉をまったく聞かない。ということが残念ながらないような現状だなと正直に感じました。私自身も生徒だった時に言われたような気がします。
「教室マルトリートメント」という概念を知ることは、生徒に対しての関わり方を常に考える姿勢を身に着けることにつながるのかもしれません。
「今の私の言葉や行動は、目の前の生徒のためになったのか」と教員自身の教育活動のメタ認知、そしてよりよい関わりを展開しようとする自己調整力につながると思います。
「心」を通じた教育活動の重要性。生徒とともに成長することが「教育の本質」なのではないでしょうか。いわゆる「毒語」や、生徒に対しても不適切な対応をしない。という最低限のことだけじゃなくて、「心」の繋がりの中で生徒と一緒に未来について考えるという「教育」の本質をしっかりと教えてくれるメッセージをいただきました。
教員の柔軟性
また、この本からは、教員の「柔軟性」の重要性についても触れていて、強く感銘を受けました。
首を激しく振りたくなるぐらい賛同しました。
私たち教師は、先生である以上、学校という場所になくてはなりません。だけど、目の前の子どもたちは、たった3年間でこの学び舎を去り、社会という広く、大きな世界へと旅立ちます。
だからこそ、「子ども=可能性」 なのです。
子どもたちが、きっと、今ある社会問題等に立ち向かい、解決しようとする持続可能な社会の創り手になってくれるのであれば、教員として嬉しいことはありません。
そうなると、今私の目の前にいてくれている子どもたちに対しての関わりをやはり考えざるを得ません。「毒語」などで未来の可能性の子どもたちを傷つけることがどれだけ教員としてしてはならないことかを考えさせられます。
学級経営等で、うまくいかないこともあります。
授業などでも、想定していた流れにならずもどかしい思いをすることもあります。
その時に、教員の「心」はどの方向を向くのでしょうか。
おそらく、「教室マルトリートメント」の概念を知らずに過ごしていたら、「子どもたちはなんでわかってくれないんだ!」「なぜ話を聞かないのか!」と怒りの感情を抱くだけだった可能性があるかもしれません。
ただ、筆者はそんな教員たちに「教室に吹かせている教師自身の『風』を感じ取る」ことの重要性も示しています。
今、書店やネット上にも「どのようにすれば教室を、生徒を変えられるか」という指導法論の話題のものがあります。
ですが、このように言っています。
そうだ。なぜ、うまくいかない理由を子どもたちに背負わせているのだろうか。私が教室内に吹かせている「風」を感じ取れなくなったら成長ができない。自分で自分を見失ってしまう。
「子どもを変える」という押しつけが、教室マルトリートメントにつながってしまうということも悟らせてくれる強い警告も得ることができました。
この章を読んだときに、トヨタの名言を思い出しました。
前回の「夢がないと嘆く君たちへ」でもお伝えした通り、私達、大人子どもともに求められる力は、未知なる未来を切り開き生き抜く「探究力」です。
目の前の子どもたちのその可能性を失わせるのではなく、うまくいかなかったことを「探究」し、未来へ生かすロールモデルになりたいと思います。
そして、「風」を「圧」にすることなく、子どもたちの風通しのよい居場所を作る存在になる。
これが、私の新しく手に入れた教育の観点です。
「教室マルトリートメント」の温床は?
そして、私はこの本は、全教員に読んでほしいと、強く思います。
この「教室マルトリートメント」が起きてしまう原因として、やはり、教員の心理的余裕のなさや、職員室と教室とが乖離している認識からだと思います。
残念なことに、この本の中でも書かれていましたが、「教室マルトリートメント」のメカニズムの背景として、「職員室」を取り上げていました。職員室内の「圧」。そして、教師自身の「自己防衛的態度」。
読んでいて心が痛い。まさに、その通りと認めざるを得ないような現状を経験することもありました。
まずは、「教室マルトリートメント」とは何かという概念を教員間で共有し、その影響力の大きさや、教員の持つ「力」を再認識したい。
教室と職員室は離れているのではなく、直結しているということも含め、子どもたちとともに未来を一緒に考える「教育する場所」としての「学校」にしたい。
「教師」にまとわりついている典型や理想論、偏見にとらわれず、柔軟性と寛容性を持ち、教師ー生徒、教師ー教師のラポールを築き、「教育の本質」について一緒に考えていきたい。
学校と教師
こんなにも「学校」と「教師」の在り方について、考えさせられる1冊はなかったと思います。
私自身もまだ未熟です。日々、生徒にとって100%よい対応ができているのか、不安になることも後悔することもあります。きっとできていないことも多いと思います。
だけど、私は「教室マルトリートメント」という価値観を得ることができました。常に忘れず、自分を客観視して、生徒とともに成長していきたいと、背中を強く押してくれるものと出会えました。あの時、本屋で「なんだこれ?」と不思議に思い、その本に手を伸ばした自分に感謝します。
そして、最後に。
「学校」と「教師」の在り方を今後も考え続けること、やっていきます。
川上先生、強い教訓をありがとうございました。ここまで読んでくれた皆様にも共有させていただければと思います。
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