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言論の自由の問題ではない(報道機関の気味悪さ)

■言論の自由の問題ではない

安倍晋三の銃撃事件は痛ましいものだった。
 気に入らないものを暴力で排除するという行為は許されるものではなく、ましては人の命を奪うというのは嫌悪感を感じる。
 しかし、この事件は下記の示すような民主主義への挑戦というものではない。

○「民主主義への挑戦」、「国家的損失」-安倍氏死去に経済界衝撃
2022年7月8日
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-07-08/REOVL2DWLU6901

死亡したのが政治家なのでことさらこうした表現になるが、端的に言えば「個人の恨み」の犯行であり、政治的なことではない。

忘れているかもしれないが、逆恨みの犯行では下記の様な痛ましい事件があった。

京都アニメーション放火殺人事件(きょうとアニメーションほうかさつじんじけん)は、2019年(令和元年)7月18日に京都府京都市伏見区で発生した放火殺人事件。
アニメ制作会社「京都アニメーション」の第1スタジオに男が侵入し、ガソリンを撒いて放火したことで、男を含む70人が死傷した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E6%94%BE%E7%81%AB%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

しかし、この事件で「表現の自由」や「言論の自由」が俎上にのぼったことはない。
今回の事件は、単なる「殺人事件」である。
ことさら民主主義に結びつける報道機関にも嫌悪感を感じる。

■力で抑圧する人々

日本国憲法では紛争を武力で解決することを禁止している。しかし実際には世界では暴力で人を抑圧することが平然とおこなわれている。
 ウクライナ侵攻はまさにそれであり、その指導的立場のプーチンと親交のあった安倍晋三が同じ暴力で命を落とすというのは皮肉でしかない。

独裁的な政治のもとでは暴力が起きやすいかどうかは分からない。しかし、権力を持つ人がそれを執行する誘惑に勝てないのは呪いなのかもしれない。もう一つは、「恨」という呪縛であろう。

「チンパンジーの闇」という言葉がある。ある飼育員が、チンパンジー同士の介入したところ、不利な裁定をされた方が後日、大きな木を頭の上に落としてきたという話で、チンパンジーは1度恨んだことを忘れないという話だったと記憶している。

隣の国の人と話をしていた時に「私たちは水に流すという言葉はありません」といわれ引いてしまった記憶がある。「韓国の朴槿恵大統領が日本に対して「加害者と被害者という立場は、千年過ぎても変わらない」」と言う発言がそれを示しているのだろう。

人間の、「力を行使する誘惑に勝てない」「恨みを忘れない」は呪いのようなものだ。それがなくならないのだから、それに供えることが重要だ。その中にはお互いを理解する努力をするも含まれる。

■現代的な問題

報道機関があまり取り上げていないことに「武器」の話がある。武器が自作できることはかつてから問題になっている。銃器でなくて爆弾であれば生活の周辺にあるもので自作できることはすでに知られている。イスラムのテロ組織などの爆弾などもこの系統のものがあるようだ。

現代的な技術として、インターネットと3Dプリンターがある。
 アメリカなどでは3Dプリンターで銃が作れることが問題視されていることは知っていた。今回も、ホームセンターなどで部品を調達していたと聞く。案外、武器製造のハードルは低い。

火薬も、結構簡単に作れる。考えてみれば、花火だって火薬だ。問題は、火薬を燃焼させることではなく爆発させる仕組みと、その爆発に耐えて弾丸を発射できる筒だ。私も高校の頃実験をしたことがあるが、普通の鉄パイプ程度では耐えられないで破裂する。

しかし、やろうと思えばインターネットの力を借りて高校生程度でもできると言うことだ。むしろこっちの方が問題なのだが、あまり取り上げられていない。

自分たちの手に余るからだろうか。
 忖度して部分的な上方もしくはミスリードする、あるいは難し問題鬼は近づかない。
 こうした報道機関に民主主義を語る資格はあるのだろうか?

<閑話休題>

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