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歩くことの愉しさ

私は歩くのが好きだ。

山や高原など自然豊かな場所を歩くのも好きだし、
歴史ある街並を歩くのも好きだし、
なんでもない道路を歩くのも好きだ。

これまで車やバスでしか通ったことのなかった道を、今日歩いてみた。

普段は通り過ぎるところに、神社があることに気づいた。
丘の上を見渡してみたら、これまでは視界に入らなかった建物があることに気づいた。
何の気なしに渡っている橋から見下ろしたら、きれいな川が流れていて、川原まで歩いて下りれる階段があることに気づいた。

歩くことは発見だらけだ。

歩くことで得られる高揚感や達成感もある。
この先にどんな景色が待っているのだろう?という期待。
長い時間をかけて、目的地にたどり着いた時の喜び。

小さい頃は歩くのが嫌いだった。

坂の上にある幼稚園は、幼い自分にとって気が遠くなるほどの距離に思えて、「毎日歩いて通うの嫌だなあ、幼稚園バスを使える子たちが羨ましい」と思っていた。

小学生の頃に通っていたスイミングスクールは、家から徒歩30分ほどの距離にあったので、基本的にはバスや車で行き来していた。けれど、姉が「歩いて帰ろう!」と言う日は、歩いて帰ることになった。泳いで疲れてるのに、お腹ぺこぺこなのに〜と思いながら、母と姉の背中を追ってなんとか歩いていた。

高校生の頃から、歩くことが苦でなくなっていた。
お金がなく出来るだけ節約をしたかったのと、歩くことで行ける場所や楽しみがあることに気づき始めたのが、この頃だったのだと思う。

社会人になっても、
電車賃が浮くなら最寄り駅ではなく少し離れた駅を使う、
乗り換え案内に出たルートではなく、15分歩いて違う路線へ乗り換える、
徒歩30分で行けるなら電車やバスを使わずに歩く、
なんてことをしていたものだから、
以前お付き合いしていた方からは、「交通費をケチる人」の称号を得ていた。

当時は、「節約のために歩いている」と私自身思っていたけれど、今振り返ると、歩くこと自体も好きだったのだろう。

とんでもなく長い距離を歩く必要はなく、自分の心地よい距離を歩く。

登山道やハイキングコースなど歩くための道を歩くのもいいし、
なんでもない道を歩くのも、とても心地よく、発見がある。

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