摂食障害のおもひで
今現在も続いていることなので、思い出と云って良いものかわからないのですが。先日部屋の片付けをしていたら、10年ほど前の写真が出てきて、
それは過食のせいで人生で一番太っていた頃で、
写真の中の自分は自分が思っていた以上に太っていて、当時も今もショックでした。
そしてつい最近、久しぶりに、あ これは過食衝動だな、というものにおそわれました。
家に大した食べものがなかったので近くのスーパーに行ったのですが、食べたいと思うものがなく、二駅ほど歩いた先にある、少し高級なスーパーに行きました(歩くのは、電車代節約のため。過食にはお金使うのにね)。時間は21時半頃で、真っ暗な中、ばかみたいだなあと思いながらひたすら歩き、着いた時には閉店間際で、蛍の光が流れる中あわてて買うものを選びました。結局適当なものしか買えず、さらにばかみたいだなあと思いました。
家に帰って美味しくいただきました。過食がひどいときはひたすら詰め込んでいたので、ちゃんと美味しいと感じられることがうれしい。
こうしたら摂食障害が良くなったよ!ということを書くつもりはないので、そういう情報を求めている人はごめんなさい。
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わたしは16歳の時に拒食症になりました。
小学校3年生の時から不登校で、中学も殆ど行けず、高校にも進まず、いわゆるひきこもりのような状態でした。家で絵を描いたり漫画を描いたり、たまに勉強したりして過ごしてました。
ある日、ふと、自分は学校も行っていないし仕事もしていないのに、家にいてごはんを食べていて良いのか?という思いが湧いてきて、
何もしていないのにごはんを食べる資格なんてない、と思って、徐々に食べる量が減っていき、ついには食べることがこわくなりました。
それと同時に、痩せたいという気持ちもあり(今考えると、特に太っていたわけではないのですが)、なるべく毎日、軽い筋トレや外に歩きに行くなどしていました。食べていないのに、カラダはとても元気でした。
ひどい時は1日に小さなゼリー1個だけだったり、何も食べない日もありました。
毎日体重計に乗り、どんどん体重が減るのが楽しくなって、いちばん痩せていた時で23.5キロ(身長は147センチ)、ウエストは49センチくらいでした。生理は止まりました。
食べられず痩せていく中で、これが拒食症っていうやつなのかな、と気づきました。
頭の中では常にカロリー計算。食べられないのに、食べもののことでいっぱい。でも食べたら太るからこわい。周りの人が食べていると安心する。
ある日撮ってもらった自分の全身写真を見て、骨と皮だけの姿が気持ち悪くてショックをく(ここまで痩せていると思ってなかった。家にある鏡では上半身しか映せなくて、全身はこの時初めて見た)、自分が見ても気持ち悪いのに周りの人が見たら、、、と気づき、少しだけ、太ろうと思いました。
おそらく今まで外出していた時、周りからは変な目で見られていたと思います。自分では気づいていなかったけれど。
ちなみに母親からは時々、痩せすぎだよ、と云われていましたが、家族からはそれ以上特に何もありませんでした。異常さには、気づいていたと思いますが。
仕事も学校も行っていないならせめて、、と、家事をするようにしていましたが、すっかり体力も落ち、10の力でできるようなことを、自分は常に100に近い力を使わないとできないということにも気づき、これでは駄目だ、体力を取り戻さないととも思い、ちゃんと食べようと考えを改めることができました。
とはいっても急に食べられるようにはならず、ほんのすこーしずつ食べる量を増やしてはいたものの、なかなか体重は増えませんでした。
ある日、少ないお昼ごはんを食べた後、急に食欲が止まらなくなり、とりあえず手近にあった、戴きもののおやきを2つ食べ、食べ終わった後すごくこわくなりましたが(急に食欲が出たこと、食べてしまったことに対して)、きっとカラダが栄養を欲しているんだ、と自分に言い聞かせて、気持ちを落ち着かせました。
しかしその後も食欲が止まらなくなることが度々あり、体重は徐々に増えていきました。だんだんと、食べないと落ち着かないようになっていきました。
食べたものを吐いたり(過食嘔吐)、口に入れて噛むだけで吐き出すという方法(チューイング)があることも知りましたが、どうやってもうまく吐けないし、噛んで吐き出すだけでは満足感が得られませんでした。多分この時点でどちらかの方法がうまくいっていたら、ますますひどくなっていたと思います。
この体重まで回復したら、食べ過ぎないように気をつけるようにしよう、と決めた体重を超えても食欲は止まらず、結局元の体重を少し超えたくらいになりました。
ただ、生理は再び来るようになって、すごく安心したのを覚えています。
20歳になった時、家の近くの飲食店のスタッフ募集に、勇気を出して応募しました。母親が仕事でいつも疲れて帰ってくる姿を見て、自分もちゃんと働いて、少しでも家計を助けられれば、、自分もそろそろちゃんと社会に出なくては、、と思い。
(父親とは小学生の頃から別居していました。わたしと母親と姉の3人で暮らしていました。)
無事採用されてキッチン兼洗い場スタッフとして働き始め、最初は慣れないことも多く大変でしたが、周りはみんないい人たちで、徐々に慣れてゆき楽しく働くことができました。家で料理をしていたので、その経験を生かすこともできたし、勉強になることもいっぱいでした。最初は週2〜3日でしたが、いつの間にか、週5日で入るメインスタッフになっていました。
家にもお金を入れていましたが、自分で自由に使えるお金が増えたことで、好きなものを買えるようになり、過食がまたひどくなってゆきました。バイト帰りに好きなものを買って家で食べ(もともと甘いものが大好きで、ミスドやコンビニのデザートや菓子パンなどが多かったです)、その後お腹がいっぱいでも夕飯を食べていました。過食を治すためには、過食した後でも食事を抜かずちゃんと食べることが大事、とどこかで読んだので。
そんな生活を続けていて当然どんどん体重は増えてゆき、今まで超えたことのなかった数値を超えてしまいました。毎日乗っていた体重計に乗るのがこわくなり、体重を測らなくなりました。多分標準体重か、ちょっと超えたくらいだったと思うのですが、当時の自分は受け入れられませんでした。
拒食の頃はぺったんこだったお腹がぽっこりと出ているのを見たくありませんでした。
過食をした後は、太るのが嫌で、無理してひたすら運動をしていました。
下剤を大量に飲むことも何度かやりましたが、お腹が痛くてつらくて、続けることはできませんでした。
過食を治すには、体重が増えることがあっても仕方ないとはわかっていても、やっぱり太ることは嫌でした。
母親も姉も痩せているので、自分だけが太っているのはとてもみじめで恥ずかしい気持ちになりました。
ある日。気持ちが沈んで、死にたいと思ってしまう日が多くなっていることに気づきました。
太ってしまったことだけではなく、その他にも要因はあったと思いますが、鬱っぽさはだんだんひどくなり、腕をカッターで切ったり、自傷行為をするようにもなりました。自傷するとすごく気持ちが楽になりました。
そんな状態がしばらく続き、仕事はなんとか行っていましたが毎日つらくて、こんな死にたいとか思っている状態は普通じゃない!と、家族には内緒で精神科に行きました。(後からちゃんと話しました。)
初めての精神科で、泣きながら今までのことを話し、先生は優しく聞いてくれました。社会不安障害と軽い鬱という診断でした。
初めての精神科のおくすりを飲んだり、バイトを1ヶ月ほど休ませてもらったりして、鬱は少しずつ回復してゆきました。でも過食衝動はなかなか治まりませんでした。
そんな中とても好きな音楽に出会って、2008年1月にひとりで東京にライブを観に行き、ライブの楽しさに気づきました。その後もちょくちょく東京に遊びに行くようになりました。
こんなに東京に行くんだったら、もう東京でひとり暮らししよう!実家は窮屈だし!と思って2009年、24歳の時に東京に出てきました。最初は住み込みで新聞配達をしていました。
しかしひとり暮らしを始めて自由になり家族の目もなくなり、過食はひどくなりました。
環境が変われば良くなるんじゃないか、と考えていましたが、そう甘くはありませんでした。
お金もそんなにないので、安くて量があるもので過食欲を満たしていました。
その後新聞配達を辞めて別のバイトを始めたり、家を引っ越したり色々とありましたが、過食、特にジャンクなものを食べるのがやめられませんでした。ひどいときは毎日のように過食していました。
当然体重は増えて(体重計がなかったので数字としてはわかりませんでしたが)、体型も変わりました。過食治さないと、とはずっと思っていましたが、意志の力だけでどうにかなるものではありませんでした。わかっていても食べてしまう。無意識に詰め込んでしまう。1日我慢できても、次の日には過食してしまう。その繰り返しでした。つらくて、また鬱がひどくなり、自傷もひどくなりました。
2011年3月11日の震災の日、わたしはそれまでのバイトを辞めて次のバイトを探していたところで、なかなか決まらず焦っていました。貯金もどんどん減ってきて、そのせいで少し過食の頻度、量が減っていました。新しいバイトは決まりましたが環境が合わず、半年くらいで辞めてしまいました。この頃から、以前からの知り合いに、痩せたと云われることが多くなりました。
その後、今も働いている職場に出会います。玄米菜食のお店で、食についていろいろなことを学びました。これまでも、過食はしつつも玄米や野菜を食べるようにはしていましたが、ますますそういった食事に興味が湧きました。カラダに良いものを食べよう、カラダに優しくしよう、と思うようになりました。
過食衝動はやはりなかなか治まりませんでしたが、ほんの少しずつ、減っていきました。今日は過食しなくて大丈夫、と思える日が増えていきました。過食したいけど、取り敢えず今日は我慢してみよう、と思えることも多くなりました。過食してしまっても、大丈夫、仕方ない。と受け入れられるようになりました。
* * *
だんだんと良くなっていき、今現在は標準くらいの体型で過食もだいぶ落ち着いていますが、まだ、『治った』とは言えません。鬱も波がありながら続いています。
自分はもっと痩せていないと駄目だと思ってしまったり、他人の体型と自分を比べてしまったり。食べることがこわかったり、罪悪感を抱いてしまったり。
そして、たまに という頻度にはなったけれど、突然やってくる過食衝動。
何か気が紛れることをするといい、という人もいますが、一度過食衝動がきてしまうと、なかなか別のところに意識を向けるのは難しいことです。最近は少しずつ、それができるようになってきましたが、ひどかった頃は、過食したいという気持ちから意識を逸らすなんて無理でした。
ただ自分は、吐くことができなかったので、それは良かったなと思っています。もし吐いていたら、きっともっとひどくなっていたと思います。
過食嘔吐で苦しんでいる人もたくさんいるので、良かったと言ってしまうのも心苦しいですが。。
外を歩いていて、すごーく細くて、ただ痩せているだけじゃない、明らかに拒食だろうと思われる女の子を見かけると、あの頃の自分を思い出して、苦しくなります。なるべくごはん食べてね、と心の中で声をかけます。
以前駅のトイレで、食べものを噛んで吐き出すチューイングをしている女の子がいました。わたしの前に並んでいたのですが、食べものが入った袋と、吐き出すものを入れる袋を持ちながら、口に入れては吐き出し、を繰り返していました。ペットボトルのジュースを口に含み、まるでうがいするように、洗面台に吐き出していました。周りの目など気にせずに。
その子はトイレを出たあと、痩せた体でふらふらと歩きながら、横断歩道のない車道を渡っていました。幸い車は来ていませんでしたが、大丈夫かな、、と心配になりました。チューイングが治っても治らなくても、元気に過ごしていると良いのですが。
* * *
発症から20年。もっとすぐに良くなると思っていたのに。まだ続いているなんて、16歳の自分が知ったらどう思うだろう。
ただ、もう時間は戻せないので、過去を受け止めつつ、この先どう生きて行くか。
生きるのがしんどいし、希死念慮がたびたびやってくるので苦しいですが、なるべくできるだけ、死なないようにしないと、と思っています。楽しいこともたくさんあるし、大好きな人たちもいるので。
摂食障害も、治らなくても、上手に付き合いながら生きていければ、それで良い。
わたしは拒食の時に自分の異常さに気づき、過食になってからは今の職場に出会ったりして、いつの間にか少しずつ良くなっていましたが、きっかけは本当に人それぞれだと思います。ほんの少しのきっかけで良くなることがあるかも知れない。昨日まで過食していたのに、次の日には治っているということもあるかも知れない。そんな人もいれば、ほんのすこーしずつ、ゆっくり良くなっていく人もいる。
あるいは、悪化していく人もいる。一生続く人もいるかも知れない・・・けど、摂食障害で苦しんでいる人たちが、少しでも良い方向に向かって行けたら良いなという気持ちです。
そして、拒食で食べられず命を落としたり、過食で身体を壊したり自殺してしまったり。そういう人がこれ以上増えないことを願って止みません。
食べることは生きることであり、楽しくて、うれしいことです。
体重や体型にとらわれて、食べることや食べられないことに振り回されて、生きるのがつらかったり、命を落としてしまうのは、とてもかなしいです。
みんなが美味しく楽しくごはんを食べられますように。
大好きな、西荻のしみずやさんのパン。
美味しく食べられることが、うれしい。
2020.07.09
ここから下は、拒食時代の写真がほんのちょっとだけあります。
見たくない方もいると思うので、購入していただいた方にだけ見られるようにします。
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