娘と皆既月食をみた。
家を出て空を見上げると月があんまりに紅いので、娘は驚いて母親を呼びに戻った。
「かかちゃん!大変です!お月さまが!」
妻も玄関を開けるや声を上げて、そこからは3人で見た。
外灯が消してあって夜空がよく見渡せる中、異様に紅い球体だけ存在感がある。仕舞い込んであった双眼鏡を探し出してきて、3人でわちゃわちゃピントを合わせてのぞきこむと、おぉとかあぁとか、各々が感嘆の声を上げる。
周りは静かだ。遠くに高速道路を走っていくトラックの車列。天の動きもどこ吹く風で、地上ではお構いなしに続いている日常もある。
紅かった満月が少しずつ、我々の見慣れた黄金色を取り戻してきたところで、寒くもなってきたし、子供の寝る時刻もとうに過ぎていたので、部屋に戻ることにする。
寝間の戸を開け放つと室内に月光が差し込んでくる。
この際だから蝕の終わりまでを見届けたくて、私は窓際に腰かけて双眼鏡を覗き込み続ける。娘が寄ってくる。
「もう寝る時間。」
今夜はいつもと反対向きになって、月を眺めながら眠ることにする。興奮していた娘も瞼が重くなってきたようだ。月明かりに照らされた娘の寝顔を添う。まつげ長い。天体観測を続けよう。
UFO!?
肉眼では目視できない。けれど先ほどは確認できなかった直線状のものが、月の手前を横切り始めている!
心拍数が上がっていくのが自分でも判る。何度見ても、あきらかに異物が、月輪を横切っている。
あわてて表に飛び出す。物音がすべて月に吸い込まれたような静かな夜だ。鼓動の高鳴りだけが聞こえる。期待は裏切られた。月と地球が動き合って先ほどとは位置が変わり、双眼鏡で覗き込むと木の枝が視界に入り込んだのだった。
そして遮蔽物のない空を、僕は延々と眺めていた。
蝕が完全に過ぎ去るまで。一心に月だけを見ていた。
<了>