夜、家族が並んで寝ている布団の隙間に、そっと潜り込む。1日の中でもっとも幸せな瞬間だ。
この安らぎも長くは続かない。そんな諦念があるから、このときを掛け値なしに愛おしく思う。
一番遠くで寝ている娘の規則的な寝息が聞こえる。ときおり不意に話し始めると、心底嬉しそうな声でけたけた笑う。学友と遊ぶ夢でも見ているのだろうか。毎日の学校生活がたまらなく楽しいのだろう。日々の学びの様子を誇らしげに語ってくれる彼女の姿を見ると、学びとは能動的で知的好奇心の探求だったはずだと思い改める。自分は学校の授業をこれほど嬉々として親に報告したろうか?振り返れば受動的な義務教育ではなかったか。
そんな娘も今や手の届かないところへ行ってしまった。抱きしめて眠る事はできない。下の子が産まれて席替えをしたのだ。私、下の子、妻、娘という川の字になった。
まだ1歳にも満たない息子の、ぷくぷくとした頬を撫でる。柔らかくてひんやりとして、大人に比べて心拍が早い。この小さくてか弱いいきものの引力が大きい。われわれ家族が天体ならば、彼を中心に回転している3つの惑星。そんな期間もあと数年といったところだろう。
妻は今夜も、両手をあげて万歳の格好で、眼鏡をかけっぱなしで寝落ち。子らを寝かしつけて授乳を終えて、少し横になって伸びをして休憩、これから残った仕事を片付けなくっちゃ、という体勢のまま睡魔に取り込まれたかたち。日々ありがとうと寝顔に声をかけ、眼鏡を外してやり枕元に置く。むにゃむにゃ目をこするが起きはしない。
窓の外からは虫の音が聞こえる。遠く町の音が、ここまで届く。最寄りのコンビニのいつもの夜勤の店員の顔が目に浮かぶ。高速道路をトラックが走り去っていく。我々がこうして休息を得ている間にも、仕事をしてくれている人達が大勢いて、社会が維持されているのが判る。
災害の地や遠く戦禍の地を想う。今この瞬間にあたたかな布団があり、雨風をしのげる部屋があり、健康でいられる平安は、そう長く続かないという予感がある。近年は体調を崩しがちだから尚更だ。ぎりぎりのところで日常を維持している。だからこそこの瞬間を大切にしたい。こんなしみじみとした安心の時が、少しでも長く続きます様に。
そうやって他に思いを馳せたのち、最後に自らに労いの声をかける。よくやった。できることはやった。おやすみなさい。大きく息を吐いて身体を沈ませ、私は眠りに落ちていく。