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映画レビュー:25年2月の20本
・ブルースの魂
(1973年/フランス/ロバート・マンスーリス監督)
来世に救いを持ち越すのは、現世がキツすぎるから。
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・機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-
(2025年/日本/鶴巻和哉監督)
何を見せられているの?シャアは?アムロは(古)どこいったの??ガンダムブランクあり過ぎてぽかーんだったけど、こんなブランク人に「観てみるか」と思わせる株式会社カラーの吸引力よ。
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・沖縄久高島のイラブー
(2024年/日本/岡田一男、鈴木由紀監督)
ひとくちにドキュメンタリーと言っても、記録映画からジャーナリスティックなものから多種多様。いろんなエッセンス盛り込みたいと思っても、軸足をどこに置くのか、その塩梅に作家性が出る。
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・ヴァンダの部屋
(2000年/ポルトガル・ドイツ・フランス/ペドロ・コスタ監督)
やっと機が熟して観れた!狭くて窮屈な画。圧縮された画角で、世界がここしかないように閉ざされていて、息苦しい。ここより他はない。第三者からの積極的な介入もない事が画面から見て取れる。登場人物の置かれている状況の説明はないまま硬派に進んでいくのに、窮屈なことだけが伝わってくる。せめて部屋から外に出て!真っ暗な部屋に籠っていないで光を求めて!と願い、たまに外の景色や光が挟み込まれるも、外も狭い。最後に救いがあるわけでもない。解放感はない3時間。凄。
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・女のこと
(1975年/メキシコ/ロサ・マルタ・フェルナンデス監督)
国立映画アーカイブの上映企画「メキシコ映画の大回顧」の中で、<女性映画コレクティブ〈Colectivo Cine Mujer〉 作品集>として4本の中篇を鑑賞。1本目は、当時違法とされていた中絶について当事者が語る「女のこと」。テレビドキュメンタリーっぽい作り。当事者が「中絶は格差の問題」と社会構造を浮き彫りにさせるタフさ。
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・台所の悪
(1978年/メキシコ/ベアトリス・ミラ監督)
2本目は、女性の家事労働が題材のこちら。家庭のホームビデオの中に、問題提起をスパイスに1つまみ!
・沈黙を破る
(1979年/メキシコ/ロサ・マルタ・フェルナンデス監督)
3本目は強姦被害が題材。ジャーナリスティックに硬派。「教育の結果、女性は男性より劣っている、という劣等感を抱く。これは社会の暴力です」「男が受ける抑圧が家庭内で再生産される(DV)」「自分が経験したことは社会の問題。暴力はその一環に過ぎない」と語る女性など、40年前とは思えない成熟した民意が声を挙げていて、慧眼に驚く。現代的。
・快楽のためではない
(1981年/メキシコ/マリア・デル・カルメン・デ・ララ、マリア・ユウヘニア・タメス監督)
4本目はセックスワーカーへのインタビューで構成されたこちら。「何も知らないのにどうして批判するの?他人事みたいに」という第三者への牽制がチクリ。
・この神聖なお転婆娘
(1956年/フランス/ミシェル・ボワロン監督)
上記の女性映画の真剣なまなざしとは対照的に、コミカルで没頭できる、往年の娯楽作品。男がセックスシンボルを祭り上げているので、これはこれで愉快である。当時の観客の男共に「あんないい女がいたらなぁ」と夢想させたのが判る。銀幕のスタアだ。
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・気分を出してもう一度
(1959年/フランス、イタリア/ミシェル・ボワロン監督)
映画の冒頭で恋に落ち、次のカットで結婚式で、次のカットで夫婦喧嘩してる、この冒頭数分の展開のリズムの良さが今作一番の見どころ。あとの時間はダラダラと、ただ推し(バルドー)を眼福として大きなスクリーンで観るアイドル映画。
・義肢で拓いたそれぞれの明日―戦後日本の復興の中で―
(1999年/日本/井坂能行構成)
これまで「義肢」について深く考えたことはなかった。「義足で自転車に乗るのは難しい。足がペダルから外れてしまう」とか「歩くときに前からも後ろからも足の裏が見えるのが健常者の足」とか、言われてみりゃそりゃそうだ、というところにたゆまぬ工夫と開発がなされていて、あぁぁこういう努力のおかげで生活のインフラが包括的に維持されているんだなぁと、人を救う職業の皆様に敬意がわいてくる。
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・鎌倉のまちに生命を育み六十年―助産婦・保母・看護婦、丸エキ―
(1992年/日本/井坂能行製作・脚本・演出)
男女雇用機会均等法なんてまだまだ無い戦争中に、鎌倉に、働く女性を支える助産師、保育士さんがいらした。そのさきがけの丸エキさんの記録。鎌倉・湘南エリア、ひいては横浜に、すごい助産師さん大勢いらっしゃる、その地下鉱脈に、いしづえとなっておられる大先輩がいらっしゃるんだなぁ。
・ヴェルクマイスター・ハーモニー
(2000年/ハンガリー=ドイツ=フランス/タル・べーラ監督)
途中で寝落ちしても、ハッと目が覚めた時にまだまだストーリーが進んでないの。何分ぐらい寝てたのか判らないけれど、さっきと同じようなずーーっといつまでも長回しが続いてるの、いつまで経ってもタル・ベーラの術中にいるのよ。同じハンガリーの作品エミール・クストリッツァの『アンダーグラウンド』と同じ質感に、東欧みを感じる。東欧、未踏の地だなぁ。
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・Nappo
(2024年/日本/リン・ポーユー [林柏瑜]監督)
2024年2月に福島で行われたタル・ベーラによるWS「FUKUSHIMA with Béla Tarr /福島映画教室2024」に参加した9名の監督による短編映画集『LETTERS FROM FUKUSHIMA』。時系列順にまず1本目はこちら「Nappo」。90分の作品を作りたいとき、9分で起承転結のあるショートムービーを10本つなげて、その上でブリッジしたり再編集すれば良いんだ、というブレイクダウンの気付き。
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・庭の壁
(2024年/日本/大浦美蘭監督)
作り手の思惑がどうであろうと、こんな作品だれが喜ぶんだ?と思うような出来でも、観客が勝手に何かを汲み取るから、とりあえず発表しろ。つたなくても!ドキュメンタリーなんて特にそうだ。ビリー・アイリッシュも言ってたじゃん。
・ロング・ロング・ヘア
(2024年/日本/飯塚陽美監督)
美容師のお仕事密着、自分に持ち合わせていなかった視点で(美容室に行かなくなって20年経つから)惹きこまれた。頭髪を洗う、という行為が、すごく性的に映されていたのも新鮮だった。エンドロールが終わって最後にチョキ、チョキ、チョキ!とハサミの音3回、センスいい終わり方!
・From F
(2024年/日本/清水俊平監督)
9作の中で唯一実験映画っぽくてそれがアクセントに。効果として面白い。
・福島からの手紙
(2024年/日本/ロヤ・エシュラギ監督)
ドキュメンタリー映画って、何もしかめっ面して観るだけが能じゃないよね。おおらかに観よう。生きてるんだから。楽しんでこう!
・旅客
(2024年/日本/シュー・ジーエン [徐芷恩]監督)
前提となる設定を、作り手が示し過ぎる必要はないのかもしれない。観る側は勝手に想像する。受け手を信用すること。現に、登場人物がお弁当を自分で作り、つめて、戦地に向かうような仕草から、この人物らがこれから覚悟をもって何かの仕事に向かうのだという様子が見て取れるのだから。
・Tale of Cows
(2024年/日本/福永壮志監督)
テーマ選びに迷いが見える。対象との距離を測りかねているような。タル・ベーラのご指導をうけてブレた内面がそのまま映っている。こわい。
<了>